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イタリア21 フィレンツェの美術館編
2010年11月16日(火)。
ページの構成上、ドゥオーモ広場を先にご紹介したが、実は一番最初に行ったのはアカデミア美術館であった。一日の行程で一番北に位置しており、ここから南の方向に歩いていくことにした。
アカデミア美術館 は1784年の開業だ。最大の目玉である展示品は、ミケランジェロの ダビデ像 である。誰もが一度は目にしたことのある大理石像は、入口からすぐのところにあった。高さは5.17メートルということで、その大きさには圧倒される。像の周囲にはスペースがあるので、360度から鑑賞することができる。ダビデの背中と尻を見たのは初めてであった。ベンチもあったので、長時間鑑賞することも可能だ。
ミケランジェロがこの像を作成したのは、1501年から1504年にかけてである。ミケランジェロは1475年生まれだから、26歳から29歳にかけての作品だ。天才とは、若い時から優れた能力を発揮するものだと実感させられる。
ダビデ像は当初シニョリーア広場に展示されていたが、1873年に移設されている。
ダビデ像は、最近では「 テルマエ・ロマエ 」のモデルになった。
アカデミア美術館は2階建てであり、それほど大きな建物ではない。見学にも時間を要しなかった。
アカデミア美術館から5分ほど南西に歩くと、 ドゥオーモ広場 だ。ここを観光してから昼食をとり、次に向かったのがウフィツィ美術館である。
ウフィツィ美術館 はコジモ1世の指示により建設されたものである。メディチ家のコジモ1世は1537年に実権を握った後、アルノ川そばの土地に行政機関を集約することを決定する。ちなみに英語のオフィスはこれから来ている言葉だという。
1560年にジョルジョ・ヴァザーリが着工する。ヴァザーリは ドゥオーモ の天井にあるフレスコ画も描いており、多彩な人であった。コジモ1世とヴァザーリはともに1574年に逝去するが建築は継続し、1580年に完成した。1579年から天井がフレスコ画で装飾されるようになる。1769年に一般公開された。
ウフィツィ美術館は広い。その展示されている絵画と彫刻の数は膨大である。地球の歩き方では「少なくとも半日、納得するまで見るには1週間」と記載されている。美術には興味がない僕でも2時間を要した。「地球の歩き方」に見落とせない作品が記載されており、役に立った。有名なのは ボッティチェッリ の「 春(プリマヴェーラ) 」と「 ヴィーナスの誕生 」である。
ただ、ルネサンス期の絵画はほとんど聖書に関係するものであり、クリスチャンでない僕には意味がよく分からない。イエスが十字架上で刑に処された後の絵ばかり見ていると、気が滅入った。
ウフィツィ美術館 庭から見た鐘楼とクーポラ
アルノ川対岸から
ウフィツィ美術館の見学を終えたのち、シニョリーア広場 に出ると、ここにも彫刻が設置されている。茶色い建物はヴェッキオ宮といい、かつてのフィレンツェ共和国政庁舎、現在は市庁舎である。今回は見学する時間が取れなかったのは残念だ。
シニョリーア広場と
ヴェッキオ宮
シニョリーア広場にはダビデ像のレプリカが設置されている。オリジナルは1873年までここに設置されていた。上の写真で右下に建っているのがダビデ像だ。
ダビデ像レプリカ
こちらの ページ では、シニョリーア広場をカメラが一周し、上下にも動く。
ネプチューン コジモ1世
シニョリーア広場から西に100メートルほど行ったところにイノシシ像がある。この鼻をなでると、フィレンツェにまた来ることができるという言い伝えがある。
イノシシ
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