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イタリア29 コンスタンティヌスの凱旋門編
コロッセオの西に、建造物が見える。コンスタンティヌスの凱旋門である。
コロッセオから見た凱旋門 アップ
凱旋門が建てられたのは、ローマ帝国の後半、というよりも終盤である。「ローマ人の物語」文庫版全43巻の内、36巻にその記述があるということからもそれが分かる。当時、ローマ帝国は衰退の一途であった。
コンスタンティヌスが生まれたのは紀元275年頃のことである。312年、西方ローマ帝国の副帝であったコンスタンティヌスはマクセンティウスとの戦いに勝利。元老院はコンスタンティヌスの正帝昇格を決定し、凱旋門の建造を決定した。2年ほどの工事で、凱旋門は315年に完成した。
「ローマ人の物語」によると、安易に造られたものらしい。もともとこの場所にはハドリアヌス帝に捧げられた凱旋門があったのだが、目的から外れる装飾を取り除き、他の公共建築物から必要な装飾を取り外してくっつけ、完成されたものだそうだ。塩野七生いわく、「パッチワークの凱旋門」だ。
正面
前に出ている4体の彫像: トライアヌス帝時代(98〜117)
彫像の間の4枚の浮彫: マルクス・アウレリウス帝時代(161〜180)
4枚の丸い浮彫: ハドリアヌス帝時代(117〜138)
その下の浮彫: コンスタンティヌス帝時代
コンスタンティヌスは313年にミラノ勅令でキリスト教を公認。325年にニケーア公会議を主宰して三位一体説が正統とされた。330年にはビザンティウムに遷都して、コンスタンティノープルに改称。世界史に名を残した。
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