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イタリア30 チルコ・マッシモ編
コンスタンティヌスの凱旋門 からサン・グレゴーリオ通りを南のほうに歩くと、陸上競技のトラックのような遺跡が見えてくる。チルコ・マッシモだ。
チルコ・マッシモ
南東から北西方向
上の写真右側がパラティーノの丘、左側がアヴェンティーノの丘だ。下の写真の奥にフォロ・ロマーノと コロッセオ がある。古代ローマの中心地である。地下鉄ではコロッセオ駅の隣駅がチルコ・マッシモ駅だ。
パラティーノの丘
チルコ・マッシモは大競技場という意味だ。長さが約600メートル×幅が約120メートルというサイズである。端から端まで歩いたところ、結構時間がかかった。
競技種目は短距離ではなく、戦車競技だ。古代ローマ市民の娯楽であった。 WIKIPEDIA では10万人以上収容できたと説明されているが、15万人以上とも30万人以上とも言われている。
コーナーの木
北西から南東方向
チルコ・マッシモの歴史は古い。「ローマ人の物語」の第1巻(文庫版90ページ)に登場する。
紀元前615年にローマ5代目の王になったタルクィニウスは、ローマの改造に着手した。丘と丘の間の湿地帯に下水溝を通して、水をテヴェレ川に排出する。ここに造られたのがチルコ・マッシモだ。カエサルも暗殺される直前の紀元前44年に訪れている(文庫版12巻215ページ)。
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