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マカオ−9 モンテの砦編

 セント・ポール天主堂の脇にある坂を上っていくと、マテオ・リッチの銅像が建っている。1522年にイタリアで生まれている。1602年に刊行した世界地図「坤輿万国全図」は、日本にも伝来した。 WIKIPEDIA にも載っているが、北海道のある場所に佐渡、能登、加賀と書いてあるのが興味深い。

マテオ・リッチ

 マカオが、オランダからの攻撃に備えるため、モンテの砦の建設に着手したのは1617年。1622年にオランダは15隻の軍艦で攻撃を開始し、マカオに上陸を果たす。迎え撃つポルトガル軍はモンテの砦に籠城。激しい戦いは、モンテの砦からの大砲がオランダ軍の弾薬庫を直撃し、オランダ軍は撤退した。

12.モンテの砦

大砲

 大砲の先には、グランド・リスボアがある。晴れていたらもっとハッキリと見えたに違いない。大砲の弾が届く距離ではないけれど。

グランド・リスボア

 モンテの砦からは、セント・ポール天主堂を見下ろすことができる。セント・ポール天主堂は1640年に再建されたので、オランダとの戦争の時には完成していなかったことになる。

セント・ポール天主堂

 2001年に訪問した時も、同じアングルで写真を撮っている。

2001年10月7日(日)




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