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南アフリカ−16 車の運転編
2001年4月。5回目の南ア出張だ。従来はホテルに迎えに来てもらうか、リスクを取ってタクシーに乗っていた。ヨハネスブルクの空港は、ゲートを抜けるとタクシー運転手が待ち構えている。もちろん運転手は皆黒人だ。いちおう身分証明書などを見せながら話しかけてくるが、その身分証明書が公的なものかどうかは分からない。いままで何度かタクシーに乗って危険な目に遭ったことは無いが、それでも日本とは比較にならないほどリスクが高いことに変わりは無い。
そこで、今回はレンタカーを借りることにした。5回目ともなると、空港からホテルまでの30分の道筋もだいたいわかる。今回も同行のM氏は昨年のケープタウンでの僕の運転技術に懲りたのか、今回は最初からオートマの車を借りた。日産車で一日4,000円くらいだった。とりあえず運転はM氏で助手席に僕が座った。
空港からサントンまでは、高速道路が走っている。片側3車線の立派な道路だが、無料である。制限速度は確か120キロだったように記憶しているが、もちろんそんな数字は無視されており、みな猛スピードで走っている。それほど混んでいないので、日本の高速道路よりもはるかに運転しやすい。
ただ、注意が必要なのは、インターチェンジを間違えて下りてしまうと、危険地域に入ってしまうという点だ。空港からサントンまでを最短距離で結ぶと、アレキサンドラという悪名高い地域を突っ切ることになってしまう。アレキサンドラはその昔、治外法権のような場所だったらしい。あまりの犯罪率の高さに白人政府すら手出しすることができず、ほったらかしにされていたような場所だ。最近は政府が簡単な住宅を作り始めており、昔ほど危険な場所ではなくなったそうだが、旅行者は絶対に行ってはいけない。レンタカーの中に備え付けの地図にも、アレキサンドラへ行くインターチェンジには、「サントンへ行くときは絶対にこのインターチェンジは使わないこと。」とわざわざ注意書きが入っている。高速道路もアレキサンドラを大きく迂回するような形で走っている。
悩ましいのは、アレキサンドラへ行くインターチェンジの次が、サントンへ行くインターチェンジと言う点だ。この道は安全らしいが、アレキサンドラの縁を走るような形になるので、一つ間違えるとアレキサンドラの中に突入だ。このリスクを避けるには、高速道路でかなり遠回りするしかない。我々はリスクを取り、サントン行きのインターチェンジで下りた。
超細密ヨハネスブルク周辺地図
昨年、「話を聞かない男 地図が読めない女」という本が、日本で売れた。不幸なことに、助手席に座っている僕は、人の話を聞かない上に、地図も読めない男だった。あえて言い訳させてもらえれば、地図が全て英語で書かれているので理解に時間が掛かったのだ。われわれはどこかで間違えた。安全な道を走っているはずなのに、周囲は黒人ばかりになっていた。もちろんスーツを着ている人など一人もおらず、よれよれのシャツをだらしなく着ている人ばっかりだ。アレキサンドラの端をほんの少しかすめただけだったが、そこから抜け出すまでは異常に緊張した。抜け出す道を間違えると、さらに中心部に突入だ。まさに命懸けのドライブであった。
ホテルからの出勤は僕が担当した。車を持たない僕にとって、記念すべき21世紀初ドライブであった。さすがにホテルからオフィスまでは道を間違えずに済んだ。ホテル周辺は、アレキサンドラほどではないが、危険地域である。金持ちが集まるからだ。サントンに泊まったときに、散歩は厳禁である。歩いてもそれほど面白いところは無い。ホテル隣接のショッピングモールから出ないほうがよい。
最後にヨハネスブルクで車に乗るときの注意をしておきたい。
「かならずドアをロックして、窓を閉めておくこと。」
これは以前にも書いたが、ヨハネスブルクの交差点では黒人の物売りが待機している。赤信号で止まっている車に新聞や果物を売りつけようとしているのだ。うかつに窓を開けていると、そこから手をねじ込まれる危険性が高い。別に黒人が全員犯罪者というわけではないけれど、予防するためにも最低このくらいの防衛手段を怠るべきではないだろう。
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