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台湾−6 二つの故宮編



 台北の故宮 北京の故宮 (93年2月)
背後にある景山公園から撮った写真。向こう側が天安門である。

 大学のときに北京の故宮に行って以来、台北の故宮訪問は念願であった。浅田次郎の「蒼穹の昴」、「珍妃の井戸」を読んで、故宮熱は一層高まった。北京の故宮「紫禁城」は壮大である。市街地にこれだけ大きな遺産をよく残しておいたものだ、と感嘆せざるを得ない。紫禁城は明の第三代皇帝永楽帝(1360〜1424)が築造し、それ以来明(1368〜1644)と清(1616〜1912)の宮城となった。ちなみに「蒼穹の昴」は清朝末期の話である。清朝末期から第二次世界大戦までの混乱の時期を、紫禁城は乗り越えた。しかし、第二次世界大戦後、蒋介石の率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦が勃発。戦いに勝った毛沢東は中華人民共和国を1949年10月1日に建国した。その一方、戦いに敗れた蒋介石は台湾に逃亡し、その際に紫禁城の貴重な文物も台湾に運ばれた。1965年、台湾の故宮博物院が開業し、文物は一般公開されることになった。建物は北京に残って故宮博物院となり、中身は台北に運ばれて故宮博物院となったのである。

 2001年3月。6回目の台湾出張で初めて故宮に行く時間を取ることが出来た。台北市内のホテルからタクシーで20分程度、日本円にして1000円くらいの距離である。中に入ると、その広さに驚く。1階はそれほど広くないが、2階と3階はとにかく広い。途中ソファで休憩したくらい広かった。しかも順路が表示されていないので、迷子になりかねない。僕も全部の展示室を回ったつもりだが、何室か見落とした可能性もある。中に展示されているのは書画・陶磁器・彫刻などである。これは僕の偏見かもしれないが、日本人は淡白なものを好み、中国人は派手なものを好む。したがって、陶磁器や彫刻は実にカラフルだ。芸術品に興味のある方は一度行ってみるべきだろう。

 芸術品が北京の故宮でどのように保存されていたのか、実に興味深い。北京は寒暖の差が日本よりも大きい。93年2月の万里の長城は、自分の人生において一番の寒さであった。スキー場よりはるかに寒い。北京に夏に行ったことは無いが、東京とそれほど変わらないらしい。そのような場所では書画は痛みやすいはずだ。空調の無い時代、あの紫禁城の中でどのように保管されていたのだろうか。何気なく壁に飾られていた掛け軸や棚の上に置いていた彫刻なども有ったはずである。台北の文物を北京の故宮の中で見てみたい、そう思う人は少なくないはずだ。


 

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