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台湾−7 国父紀念館編
2002年11月。過去6回出張した台湾に、初めて観光で訪れることとなった。2001年3月以来だから、一年半ぶりである。今までは金曜日まで仕事して、土曜日の午前中だけ観光して午後のフライトで帰る、というスケジュールが多かった。一回ゆっくり観光してみたいと思っていたのだ。
11月1日は会社の創立記念日であり、2日〜4日の三連休を合わせると四連休になる。この機会を利用することとした。もちろん飛行機代はマイレージの特典で無料だ。当社の台北オフィスに電話して、当社割引のホテルを予約してもらった。
11月1日。久しぶりの台湾に心も弾む。ホテルに着いたのが15時30分過ぎだった。オフィスには17時に顔を出す約束をしていたので、あまり観光をする時間が無い。チェックインしたらすぐにタクシーに乗って、忠烈祠へ向かった。忠烈祠は、国民党政府のために戦死した約33万人の将兵の霊を祀った廟である。着いてみて、がっかりした。忠烈祠は、工事中で立入禁止だった。
いきなりスタートからつまづいたが、気を取りなおして、そばにある孔子廟と保安宮に向かう。あまり時間が無いためにお参りをするだけで帰ってきた。その後オフィスに顔を出し、ちゃっかりと夕食をご馳走になった。
11月2日。いよいよ本格的に観光スタートだ。
まず向かったのが、国父記念館である。前日飲み過ぎたせいか、頭が痛い。ホテルが松江路沿いにだったので、まっすぐ歩いて忠孝新生駅から地下鉄に乗り、3駅目が国父紀念館駅である。駅から地上に出れば、そこは国父紀念館だ。
国父とは孫文のことである。革命の父、孫文。2002年は彼の銅像を 上海 と台北で見ることとなった。国民党を組織した孫文が台湾で銅像となるのは別に不思議なことではないが、一つ気になることが有る。彼は台湾に行ったことがあるのだろうか?ご存知の方は教えてください。
国父紀念館のメインは、なんといっても巨大孫文像である。まずは、下の写真をご覧いただきたい。
孫文像
この写真だけであれば、その巨大さが理解しにくいかもしれない。下の写真の左下に立っている衛兵と比較すれば、ご理解いただけるはずだ。なにしろ、2フロアぶち抜きという大きさである。これほど大きな銅像は、僕は見たことが無い。
左下と右下に衛兵が立っている。 衛兵の交替は見応え有り。
また、もう一つの見物が衛兵の交替だ。僕が国父紀念館の中に入ったのは確か9時30分頃だった。銅像の写真を撮っても良いか、中国語で係員に聞いてみると、日本語で「いいですよ。」と返事が返ってきた。それだけでなく、「衛兵が10時に交替します。」とまで教えてくれた。最初は何のことやらわからなかったが、とりあえず10時にはここに来たほうがよさそうだ。それまでの30分間を上のほうの階を見て時間をつぶした。
9時55分くらいに孫文像の前に来ると、もう衛兵の交替が始まっていた。一糸乱れぬ整然とした動きで、銃剣を持った3人の衛兵が入ってくる。一人は指揮をする人で、残りの二人が孫文像の脇に立っている衛兵と交替するのだ。交替の儀式は、見応えが有る。銃剣を自由自在に操る姿は、実に格好いい。交替してから衛兵の位置に立つと彼らはぴくりとも動かない。交替に要する時間は10分ほどだろうか。ぜひ一度ご覧いただきたい。
<追記 2005年10月9日>
「孫文は台湾に住んだことがあり、台北駅の近くに、当時滞在した建物を使用した記念館ができています。」というメールをいただきました。ご指摘ありがとうございます。
「地球の歩き方」で調べてみたところ、国父史蹟紀念館という建物が台北駅のそばに有ります。孫文は1913年と1914年の2回訪れているとのことです。
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