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中国−5 大連の中山広場編



 大連の観光で絶対に欠かせないのが中山広場である。直径200メートルほどの小さな広場だが、多くの人が集まってくる大連市民の憩いの場だ。僕が行ったのは平日だったのだが、仕事が終わってから集まってくるのだろうか、暗くなってからの方が人が多くなった。ベンチは無いけれど、芝生との段差に腰掛けている人が多い。また、明るいうちは羽みたいなもの(鶏毛鍵というらしい)を蹴って遊ぶ人も多い。日本の蹴鞠が羽になった姿をイメージしていただきたい。日本ではそういう遊びは男がやるという感覚だが、大連ではおばちゃんも遊んでいた。
 ここで、下の図をご覧いただきたい。この広場を中心として道路が放射線状に10本も出ている。中山広場を囲む道路は時計と反対回りで一方通行になっている。例えば下図⑥と⑦の間の道路から入ってきた車は、⑧と⑨の間の道路に行きたくても、右折して中山広場を回らなければならない。中山広場を囲む道と、中山広場に入ってくる放射線状の道との交通を制御する信号は無い。確かに10本も道が出ていれば、どう制御して良いものかわからないが。そして、歩行者は自動車の間隙を突いて横断歩道をダッシュすることになる。③と④、⑧と⑨のところから広場に入っていく地下道はあるが、そんなの使わずに走って渡る人が多い。①と②の間から入ってきた人が広場に行くためにはダッシュして車道を横切るしか手段が無い。日本人感覚ではいつ事故が起きても不思議は無いのだが、暗黙の了解でもあるかのようにみんな涼しい顔で横断している。
 
中山広場周辺地図。ペイントで描いたらなぜかにじんでしまった。

 日本の統治時代は大広場と呼ばれたこの広場は、当時立てられた欧風建築物に周囲を取り囲まれている。現在は博物館になっているわけではなく、中国政府が使用している。どの建築物も100年近くは経っているはずだ。大連が日本から中国に返還された後も生き残った、歴史の証人達である。

場所①
旧 横浜正金銀行大連支店
現 中国銀行遼寧省分行
夜はライトアップされる。

場所③
旧 中国銀行
現 中信実業銀行
場所④
旧 東拓ビル
現 太平洋保険公司
場所⑤
旧 大連市役所
現 中国工商銀行

場所⑥
旧 大和ホテル
現 大連賓館
1905年の日本統治時代に開業。内装はかなり改修されているそうだが、ホテルとしてまだ使われている。
夜景
ちなみにホテルの上のスクリーンではニュースや音楽番組などの映像が流れ、公園内に取りつけられたスピーカーから音声が流れる。

場所⑧
旧 大連警察署
現 遼寧省対外貿易経済合作庁
場所⑨
旧 朝鮮銀行
新 中国人民銀行

場所⑩
旧 関東逓信局
現 郵便局

 ここでは2枚だけしかライトアップした写真を載せていないが、実際には全ての建物がライトアップされ、実に美しい。また、街灯にやたらとたくさん電球が付いているのがお分かりいただけると思うが、これはアカシアをイメージしたものだそうだ。
 場所②、⑦も同じような外観のビルが建っている。資料によると、日本統治時代は②は建物が無かった。⑦はイギリス領事館だったが、1995年に取り壊され、現在は上海浦東銀行のビルが建っている。

(続く)
 

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