このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

台湾−2 決死の移動編

  98年10月に2回目の台湾出張の機会を得た。今回はメーカーの営業1名、技術1名に同行である。中正空港に着き、荷物が出てくるのを待つ。我々3名が着くとほぼ同時にメーカー2名の荷物が出てきた。残るは僕の分だけだ。ところが、なかなか僕の荷物が出てこない。待っているうちに衝撃的な事態が発生した。ベルトコンベヤーがいきなり止まったのだ。周囲の客も騒然としている。短気な客はもう空港の係員に食って掛かっているが、係員も事態を把握していないようである。メーカー2人がいらいらしているのが分かる。彼らは僕よりも年上である。しかも、ただでさえ商社は弱い立場に有る。別に僕が悪いわけではないだが、つい謝ってしまう。「お願いだから早く出てきてくれ。」と僕は泣きそうな気持ちになっていた。結局荷物が出てきたのは1時間以上経ってからであった。
  水曜日は台北→高雄への移動日にあたっていた。その日のニュースは台風上陸を伝えており、外はすでに暴風雨が吹き荒れていた。東京とは比較にならない風・雨の強さである。台北→高雄の飛行機の欠航は既に決まっている。もし高雄に行ったとしても翌日はほぼ確実に客は休みである。(台湾では政府が出社・登校禁止令を出す。)その日は他商社がアテンドの日であったが、なんとかメーカーの営業と連絡を取り、上記の理由を述べて台北待機案を提示した。ところが彼は承服しない。営業は別のところに1件訪問してから遅れてやってくるので、技術屋を先に高雄まで連れていってほしいという。メーカーの意向最優先というのが商社の基本姿勢である。我々も承諾した。
  さて問題は交通手段である。飛行機が飛ばないという状況では、電車かバスしかない。僕は強硬に電車による移動を推薦した。「台風の中、バスによる移動は危険である。そもそも通行止めになったらどうするのか。電車であれば駅に泊まれるのではないか。」という論理を展開して説得にあたった。鉄道マニアのはしくれとしてぜひ台北→高雄の特急「自強号」に乗りたいというのが本心ではあったが。海外の鉄道にはそれほど乗ったことが無かったので、これはよい機会と思ったのである。しかも移動費は会社持ち。まさに千載一遇の好機といえよう。メーカーも特に反対する理由は無いと思ったのか、電車の移動を了解してくれた。さっそく東京の本社に電話する。
「もしもし虎羽ですが、リーダーいます?」
「あ、虎羽さん。お疲れ様です。リーダーは外出中です。」
「それなら伝言をお願いしたいんだけど、台風が来ていて飛行機が欠航なので、台北から高雄まで電車で移動します。」
電車?虎羽さん、旅行と勘違いしていませんか?駄目ですよ、公私混同は。
「しょ、しょうがないでしょ、飛行機が飛ばないんだから!」
「でもなんか、声が弾んでますよ。
「君ね、僕はあくまでもメーカーに帯同しなければならない義務があるんだよ。」
「はいはい、わかりました。」
何故か、全然信じてもらえない。短大を卒業したばかりのアシスタントにあしらわれてしまう悲しい僕。しかも、虎羽は台湾で遊んでいるという変な噂が社内で流れる始末であった。
 暴風雨の中、なんとかその日のうちに高雄まで無事に着くことが出来たのだが、参考までにタイムテーブルをここでご紹介したい。
16:35台北 → 17:05桃園 → 17:15中歴 → 17:44新竹 → 18:07苗栗 → 18:51台中 → 19:05彰化 → 19:40斗六 → 20:00嘉義 → 20:16新営 → 20:45台南 → 21:15高雄
約4時間40分の長旅であったが個人的には大満足であった。人生指折りの充実した出張だったといえよう。

 

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