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中国−7 旅順編
今回の旅行で一番行きたかったのが旅順だ。日露戦争最大の激戦地として、日本人が忘れてはいけない地名であろう。関心のある方は司馬遼太郎の「坂の上の雲」をどうぞ。確か映画化もされているはずだ。
二〇三高地の占領は、旅順湾に停泊するロシアの艦隊を山頂から攻撃することが目的であった。つまり、二〇三高地を陥落すれば、東方のロシア海軍を壊滅させることが出来るのだ。資料によれば、攻める日本軍の総兵力が63,000名に対し、守るロシア軍は33,000名。ロシアは難攻不落を誇る要塞を築き上げていた。
日本軍は当初より苦戦続きだったが、11月26日より第3回総攻撃を開始する。初日で日本第一師団の75%が失われてしまうほどの激戦であった。その後の再攻撃で12月5日に二〇三高地は日本軍の手に落ちた。早速6日より日本軍は山頂に大砲を持ち込んで、ロシアの艦隊を総攻撃。12月11日に旅順艦隊は壊滅した。1905年1月1日に旅順のロシア軍降伏。翌2日に旅順開城規約が調印され、5日に乃木希典司令官とステッセル将軍が水師営で会見を行う。
その後、3月1日より奉天会戦が始まるが、10日にロシア軍は退却。日本軍に追撃余力は残っていなかった。5月27日に日本海海戦でロシアのバルチック艦隊も壊滅。(バルチックとはバルト三国のこと。そこからアフリカの喜望峰を経由して半年間もかかってやってきたため、兵士は疲れきっていた。これに対し、日本海軍は準備を整えて待ち構えていた。)講和を模索していた日本はセオドア・ルーズベルト大統領に斡旋を依頼し、8月10日よりポーツマスで交渉を開始。9月5日に講和条約は調印された。日本の国家予算7年分を注ぎ込んだ日露戦争はこうして終結した。
旅順は中国海軍の軍港となっているため、今でも原則として外国人が立ち入ることは出来ない。そのため、旅順に行くには現地の旅行会社に正式な手続きを依頼する必要が有る。日本の旅行代理店では取り扱っていないので、大連中国旅行社に直に電話して、手配を依頼した。旅順への立ち入りと中国国内線の申込で代金33,000円なり。内訳は不明だが、旅順に行くだけであったら10,000円〜15,000円といったところだろう。
当日(2001年8月23日)朝9時にホテルのロビーに下りていくと、僕の名前のプラカードを持った若い女性が立っていた。この女性はただの代金受渡係で、運転手兼ガイドのおじさんが下で待っているのだろう、と思っていたところ、なんと流暢な日本語でガイドしてくれるという。客一人に対して若い女性ガイド一人、運転手一人、しかも車はアウディという豪勢な旅行となった。しかも昼食込み。日本だったらいくらするのだろうか。
大連市街から旅順までは車で約45分である。最初の目的地は、ロシア軍の要塞が残されている東鶏冠山である。ここはもちろん外国人立入禁止区域である。車中でガイドさんより大連の説明や、日露戦争の講義を拝聴した。ときおりクイズ形式になるなど楽しい構成であり、会話は弾んだ。駐車場を下りると、まず日露戦争記念館(正式名称は忘れました)に向かう。ここでは日露戦争の写真が多数掲示されていた。写真を見ると、百年も前の戦争だが、ついこの間起きた戦争のような気がしてくる。見学が終わった後はいよいよ要塞だ。見るからに頑丈そうな要塞がそこにはあった。その要塞の外側には、日本軍の弾痕が残っていた。
ロシア軍要塞 要塞内部
当初は2階だったが、爆撃で2階の床が落下したと言う。
次の目的地はいよいよ二〇三高地である。二〇三高地は外国人の立入が許されている。駐車場を下りてから、割と急な坂道を10分くらい登っていく。ガイドさんによれば、二〇三高地の標高は以前206メートルだったが、激戦による爆撃で山頂が吹っ飛んで203メートルになったという話である。当日は結構暑かったため、よい運動になった。少しは痩せたはずだ。山頂に立つと、旅順港が見えた。二〇三高地の真下が旅順港かと思っていたが、意外に距離が有った。確かに地図で確認しても5kmほどだ。当時の大砲でもかなりの飛距離が有ったことを知った。紀念碑から下りたところには乃木司令官の次男保典氏が戦死した場所を示す石碑が立っていた。
二〇三高地頂上に立つ爾霊山紀念碑 山頂から旅順港を望む。
次の目的地は水師営である。ここも外国人の立ち入りが許されている。建物は数年前に再建されたものである。内部は日本軍控室とロシア軍控室が分かれていた。この控室にも日露戦争の写真が掲載されていた。
水師営 内部
水師営の脇のレストランで昼食を取ったらツアーは終了。後はホテルに帰るだけである。時間がまだ余っていることもあり、ガイドさんにお願いして旅順駅を見せて欲しいと頼んだところ、了解は得たものの以下の注意を受けた。
1. 車から下りないこと。
2. 写真を撮らないこと。
外国人が見つかると逮捕・拘束されてしまうそうだ。たしかに軍艦をバックに記念写真を撮ったりしたら、本人にその気は無くても軍事機密が写ってしまうかもしれない。それをホームページに載せてしまう人がいるかもしれない。というわけで、旅順駅まで連れて行ってもらったが、車からは下りなかったし、写真も撮らなかった。100年くらい前の駅舎がいまでも使用されている実に味わい深い駅であっただけに残念である。ガイドさんは中国人だから下車しても構わないはずであり、彼女に頼もうかと思ったが、駅前にパトカーが停まっているのを見て断念した。
その後、大連市の自然博物館に立ち寄ってからホテルに戻ったのは14時頃であった。5時間の小旅行だったが、濃密な時間を過ごすことが出来た。東鶏冠山の要塞や二〇三高地に立つと、さすがに想いが込み上げて来た。百年前の日本人が、国を守るために必死で戦った痕跡がそこには残されていた。
(続く)
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