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中国−8 大連から長春への移動編
旅順に行った翌日(2001年8月24日)、僕は満州国の首都であった長春へ向かった。大連から長春への便は意外に少ない。毎日飛んでいる便は中国北方航空が1日1往復だ。24日は金曜日だったため、他に選択肢は無かった。
大連→長春 長春→大連 CJ6542 19:40 → 20:40 CJ6543 08:15 → 09:10
中国の空港は、チェックインが離陸時間の1時間30分前から30分前の1時間と決まっている。これは国際線も同様である。したがって、2時間前に着いたところでチェックインカウンターは開いていない。乗客が列を作っていても決して対応しない。ある意味ではわかりやすいと言える。なお、中国の空港では、民航機場管理建設費として国内線は50元、国際線は90元が必要である。
当日僕はチェックインを早目に済まし、ゲートのそばは混んでいたので、割と離れたところで本を読んでいた。国内線にもかかわらず英語のアナウンスがあるのは有り難かった。そろそろ搭乗時間と言う頃、一時間離陸が遅れ、20時40分になるというアナウンスが流れた。まあ一時間くらいであれば仕方有るまい。僕は引き続き本に没頭した。ふと時計を見ると、思ったより時間が経過していることに気付いた。慌ててゲートのほうに走っていったところ、幸いにもまだ搭乗は始まっていなかった。安心してゲートのそばの椅子に席を移した。
ところが、いくら待ってもアナウンスが聞こえてこない。北京や他の空港行きは相次いで離陸しているので、空港が使用停止と言うわけでは無さそうだ。そのうち、離陸時間の20時40分を過ぎ、21時00分も過ぎた。ところが掲示板の離陸時間は20時40分のままになっており、アナウンスも流れない。空腹感を覚えたが、いつアナウンスが有るか分からないので食堂に入るわけにも行かない。結局、搭乗のアナウンスが流れたのは21時15分を回っていた。
ところで、飛行機に乗る前から僕は疑問を感じていた。チケットに座席番号の記載が無いのだ。乗る直前にスタンプでも押されるのかと思ったが、半券を切り取っただけだった。不審に思いながらバスに乗り、機内に入った。案の定、この飛行機は自由席だった。僕は自由席の飛行機に搭乗したのは生まれて始めてである。確かに発券した人数が座席数より少なければ問題は無いはずだ。
僕はとりあえず空いている後部座席に座った。ふと隣を見ると、3人掛けの椅子の肘掛を上げ、一人のおじさんが横になっていた。どうせすぐ離陸するときはベルトを締めねばならないのだから、今から寝てもすぐに起こされるではないか。もう少し待てばいいのに、などと考えていたが、スチュワーデスは彼をいっこうに起こす気配が無い。後部は席も開いていたので、確かに一人で三人分の座席を使っていても、座れない人はいない。でも、もしかしたらこのおじさんは横になったまま離陸してしまうのか?おじさんが横になったまま、ついに飛行機は動き出した。
そのとき、寝ているおじさんの前の席で、携帯電話が鳴った。今度は別のおじさんがでかい声で話し始めた。電磁波が悪影響を及ぼしたらどうするのだ。そもそもスチュワーデスはなにをしているのだ。中国では気にしないのか。相当不安を感じていたところ、やっとスチュワーデスがやってきて、おじさんも携帯電話も切り、寝ていたおじさんも起こされた。ほっと安心したところ、飛行機がいきなり加速を始めた。普通どこの空港でも、滑走路に入ったら一時停止をするものだが、中国北方航空はまるで一時停止の無いまま21時35分に離陸した。
大連から長春までは一時間。長春空港に無事着陸したのは22時45分くらいだったはずである。ステップを下りたら、意外な寒さに驚いた。ポロシャツ1枚ではかなり寒く、しかも結構歩かされた。日本では確実にバスが走る距離である。
長春空港はそれほど大きな空港ではないのでゲートを抜けるとすぐにタクシー乗り場だ。タクシーに乗って、運転手にホテルの地図を見せる。運転手も了解して走り始めて3分くらい経ったときだろうか。タクシーが停車した。どうしたのか?と思っていると、助手席に一人の男性が乗り込んできた。この恐怖感を皆さんご理解いただけるだろうか。言葉のほとんど通じない異国の地で、夜11時過ぎ、タクシーに見知らぬ男が乗りこんでくる。しかも運転手と何か話をしている。ひょっとしたら悪事を企んでいるのではないか。金持ち日本人は誘拐されやすいと聞く。街灯が暗いこともあり、悲観的な想像が頭に渦巻いた。結局、乗り込んできた男は途中のホテルで降りた。ただのおしゃべりな乗客だったようだ。運転手にとってみれば、運賃を2回稼げたのだからラッキーといったところか。ただ、僕は遠回りされたのだろうか?下りるときに2元負けてもらったが。
夜23時30分頃、やっとホテルに着いた。ホテルは日本で予約済みであり、クーポンを受付の女性に差し出した。僕の予約を確認していた女性が首を横に振りながら言った。
「没有房間(部屋が有りません。)」
僕は第二外国語が中国語であり、かつ台湾出張も多いので、これくらいの中国語なら理解できた。そんなはずはない。日本で金を払ってきたのだ。そもそも、そばにホテルなどない。こんな夜に放り出されて、どこに泊まれと言うのか。外は寒く、暗い。野宿をしたら体を壊し、身ぐるみ剥がされてしまうだろう。予約者リストを見せてもらったところ、確かに僕らしい人物の予約は入っていなかった。残念ながらフロントの女性は全然日本語も英語も出来なかった。僕は中国語ガイドブックを取り出し、かつ筆談も用いて、事情を何とか説明した。漢字を書けば何とか意思の疎通は出来る。彼女がマネジャーを呼んで説明を始めた。残念ながらマネジャーも全然日本語も英語も出来なかったが、マネジャーの英断(?)で空いている部屋に泊まらせてもらった。ひょっとしたら払った金よりも高い部屋だったのかもしれない。
チェックインが無事終わったときには既に12時を回っていた。安心したらお腹が空いた。もちろんレストランは閉まっている。何か食べるものが無いか、先ほどの女性に聞いてみたところ、彼女が紙に書いてくれた。
「餃子」
部屋に入ってすぐ、ノックする音が聞こえた。コンビニの弁当箱のような容器が3つ届けられた。餃子2つと醤油だった。ご飯もスープも無く、純粋に餃子のみ。部屋の冷蔵庫から青島ビールを取り出し、それを飲みながらひたすら餃子を食べ続けた。明日は長春観光だ。
(続く)
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