このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

マカオ−3 観光案内編

 翌朝、6時30分に起きた僕は散歩に出掛けた。僕の体は南ア時間になっているので、午前0時30分に起きた計算になる。時差ぼけの上に前日の酒が残り、非常に辛い朝だった。チェックアウト直前まで寝直そうかとも思ったが、マカオまで来てセント・ポール大聖堂を見ずには帰れない。ここで写真を撮ってHPに掲載すると言うのが、HPで世界各地を紹介している者の責任と言うものだ。気力を振り絞って起きあがった。
 僕に与えられた観光時間は1時間30分。同行の2人と8時30分にチェックアウトする約束をしているので、8時にはホテル戻っていたいところだ。

 二日酔いで半分フラフラしながら向かったのがセナド広場である。セナド広場と向かい合わせに建っているのが市政だ。市政はマカオの立法府である市評議会の会堂で、マカオで最も伝統的なポルトガル風建築の一つと言われている。ちなみにこの頃はまだ7時前。予定通りだ。

セナド広場市政(リアル・セナド)

 さて、セナド広場を奥に入っていくと、セント・ポール大聖堂である。このとき、僕は地図を持っておらず、記憶を頼りに歩いていったところ、案の定道を間違えた。いくら歩いても、そばにあるはずのセント・ポール大聖堂が見えない。さすがに焦った。今日の僕には時間が無い。とりあえず早足で歩き出すと、昨日の酒が残っていたためか、汗をかき始めた。マカオは10月でも暑いので、汗が止まらない。Tシャツが汗を吸い、不快指数100である。ハンカチで顔や首筋を拭きながら歩いていくと、やっとモンテ砦の裏口が見えた。どうやら回り込んでしまったらしい。時刻は7時30分を回っていた。
 モンテ砦は、1622年にオランダ艦隊を撃破した遺跡であり、当時の大砲がまだ残っている。マカオ博物館も併設されているが、開館は10時だ。もちろん開いていたとして立ち寄る時間は無い。

モンテ砦の大砲

マカオ市街中国側
中央下にセント・ポール大聖堂が見える。

 ここまで来れば、セント・ポール大聖堂は歩いてすぐの距離である。着いたのは7時50分過ぎだ。
 セント・ポール大聖堂は17世紀の初頭から約35年の歳月を費やして建築されたのだが、惜しくも1835年の大火でほとんどが焼け落ちてしまった。今では建物の正面が残るのみだ。

セント・ポール大聖堂階段の下から

大聖堂からの眺望

 セント・ポール大聖堂から早足で歩いたところ、5分くらいでセナド広場に戻ることが出来た。僕は相当な遠回りをしたらしい。歩いてホテルに戻り、チェックアウトにも無事間に合った。その後二日酔いで船に乗るのは相当辛かった。
 もしマカオにまた行く機会があれば、今度は余裕を持って観光したい。

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