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中国(上海・蘇州・無錫)−2 魯迅公園編
中国近代文学の父、魯迅。魯迅は1881年9月25日に紹興酒で有名な紹興に生まれている。1902年に日本に留学し、2年後に仙台医学専門学校に入学する。ちょうど日露戦争の頃である。その時代の魯迅を描いたのが太宰治の「惜別」である。
留学中に医学から文学に転じた魯迅は、帰国後の1918年に、陳独秀によって創刊された雑誌「新青年」上で「狂人日記」を発表し、中国の伝統を痛烈に批判する。1921年には唯一の中篇小説であり、かつ代表作の「阿Q正伝」を発表する。1923年に作品集「吶喊」が発売される。「吶喊」とは、敵陣に突入するときに声をあげること、鬨(とき)の声をあげることである。その後北京大学の教授を務めるが、1927年に蒋介石の反共クーデターに抗議して辞任し、上海に移住する。1936年10月19日に上海で逝去した。
魯迅像
魯迅紀念館内部魯迅像
魯迅公園内
魯迅先生の墓
毛沢東の筆跡魯迅故居
魯迅公園のすぐそば
2002年9月4日。一年ぶりの中国だ。上海のホテルにチェックインした後、まず向かったのが魯迅公園である。魯迅公園は蛇口という場所にある。ここだけ他の目的地から離れているので、先に行っておこうと思ったのだ。蛇口地区は1930から40年代に多くの日本人が住んでいたところで、日本人街と呼ばれていた。
魯迅公園は太極拳をやっている人やベンチで歓談したり、マージャンに興じている人達で賑わっている。僕が行ったのは15時過ぎだったが、かなりの賑わいであった。彼らはどのように生計を立てているのであろうか?公園はかなり広く、入口から魯迅像と魯迅の墓までは10分程度歩く。「魯迅先生之墓」の文字は毛沢東の筆によるものである。形から入るのが好きな僕は、魯迅像のそばのベンチに座り、日本から持参した「阿Q正伝・狂人日記」の中に有る「故郷」という作品を読んだ。岩波文庫で15ページほどの小品だが、高校の教科書に掲載されていたのを記憶している。
公園の内部には魯迅紀念館があり、遺品などが展示されている。中に立派な銅像が有ったので、係員に確認の上写真を撮らせていただいた。内部の説明は中国語と英語のみだ。
公園から10分程度離れたところに魯迅故居が有る。ここを発見するのは困難を極める。僕は二回も通り過ぎてしまった。山陽路から路地を中に入ったところにあるためだ。16時に閉まってしまうので、残念ながら中に入ることはできなかった。魯迅故居のすぐそばには、内山書店の跡があり、中国工商銀行の壁に記念のパネル(魯迅と内山完造)がはめ込まれている。
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