このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

中国(上海・蘇州・無錫)−5 外灘編

 1920年から30年代にかけて建築されたアール・デコ調の建物が黄浦河沿いに並ぶ外灘は、上海最大の見所である。アール・デコという言葉は、1925年にパリで開催されたアール・デコ博覧会に由来するものであり、直線を意識して使用しているそうだ。ニューヨークに林立している摩天楼もアール・デコ調である。
 外灘は租界の跡である。租界とは、開港場で外国の行政権が行使された地域のことであり、1845年にイギリスが上海で開設したのが最初とされている。その後日清戦争で清の弱体が暴露されると、欧米列強は中国の分割に乗り出す。上海はその中心となり、国際政治の舞台となっていった。
 外灘はバンド(Bund)とも呼ばれる。バンドとは人工の土手や堤防を意味するペルシャ語系の言葉である。楽団やひもは「Band」なので注意されたい。イギリス人は海から長江をさかのぼって、上海から上陸した。したがってこの黄浦河の河岸はきわめて重要な場所だったのである。

 外灘は、黄浦河沿いの遊歩道となっており、延安東路のあたりから外白渡橋までのんびりと歩いて20分程度の距離だろうか。延安東路の方から歩くと、左側にアール・デコ調の建物が並び、右側に黄浦河が流れ、その向こうに浦東地区の超高層ビル群が見える。黄浦河を挟んで左側に1920年代の建物、右側に21世紀の超高層ビル群が見える、というのが上海の最大の魅力である。途中ベンチに座って景色を眺めたり、写真を撮ったりするので、余裕を持って日程を組みたいところだ。
 遊歩道の上には屋台が並んでいるが、屋台で買うジュースは全然冷えていないので注意が必要である。皆さんも経験をお持ちだと思うが、ぬるいコーラは最悪であった。見落としただけかもしれないが、なぜかビールを売っている屋台は発見できなかった。アルコール類の販売は禁止されているのかもしれない。
 右下の写真(ジャーデン&マセソン商会)の一階には元禄寿司がテナントとして入っている。中を覗いてみたら、確かに回転寿司マシーンが設置されていた。世界で一番豪華な建物に入っている回転寿司ではないだろうか。

昼の外灘
北(外白渡橋の方)から南を向いて撮った写真。左が黄浦河、右がアール・デコ調建築群。
 
 
香港上海銀行上海支店
1923年竣工
ジャーデン&マセソン商会
(上海対外貿易総公司)
1920年竣工


< 夜景 >
 外灘は、やはり夜景の方が美しい。19時以降は建物がライトアップされるのだ。浦東地区に渡って、黄浦河を挟んで見る外灘は、溜息が出るほどの美しさである。しばらく見ていたい気になる。
 そして、下の写真を見れば分かるが、外灘は夜9時過ぎでも人でごった返している。外灘から見る浦東地区も絶景だが、これは次の機会に譲りたい。

夜9時頃の外灘
南から北を向いて撮った写真

浦東地区から黄浦河を挟んで見た外灘の夜景



< 外白渡橋 >
 外白渡橋は、外灘の北側に有る蘇州河に架けられており、1906年に架け直されたものである。外白渡橋とは、「外国人は無料で渡れる橋」という意味であり、一般の中国人は渡ることを許されなかった。

外白渡橋
バックの建物はブロードウェイ・マンション
(上海大廈)
1934年竣工
 
上海市人民英雄紀念塔


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