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韓国−2 街並編
昨年(1999年)は韓国出張の機会が3回も有った。ソウル・プサンを一人で散歩する時間が有ったので、そこで気づいたことをご報告したい。
ソウルはオリンピックの際に街を整備したので、道路・地下鉄などの交通網はかなり進んでいる。ソウルの金浦空港から市の中心部まで地下鉄が走っており、時間も30〜40分である。10分に1本程度の割合で走っており、値段も安く(日本円で200円程度だったと記憶している)、成田とは比較にならない便利さである。車内では英語のアナウンスと字幕が流れるので、外国人でも迷わない。したがって、担当の僕が一人で空港に着いても誰も迎えにきてくれない。
さて、ソウルの街を見て気がつくのは、看板がハングルしかないということである。漢字どころか、アルファベットも無い。店の中を覗かなければ、何の店か分からない。レストランということは分かっても何料理か分からない。メニューを見ても何が出てくるか分からない。まったくのお節介ながら、英語もしくは漢字をもう少し使用するべきではないだろうか。
さて、ソウルには景福宮という宮殿が残っており、その前の片側5車線くらいの道路があるが、そこにとある武人の像が立っている。そのとき、僕はソウルオフィスの女性スタッフと2人で車に乗っていた。
「あれは誰の像ですか?」
「李舜臣の像です。」
「え、何をやった人なんですか?」
何も考えていない脳天気な僕の質問に関し、彼女は言いづらそうに答えた。
「あの・・・日本と戦った人です。」
「第二次世界大戦直前ですか?」
愚問を連発する僕に対し、彼女は言いづらそうに答えた。
「あの・・・もっと前です。」
そこまで言われて、これは秀吉の朝鮮出兵を意味しているのだと気づいた。僕は己の歴史認識の浅さを恥じた。同時に、お客様の前でなくてよかった、とも思った。
1592年文禄の役、1597年慶長の役。韓国ではそれぞれ壬申の乱、丁酉の乱と呼ぶ。これが咄嗟に浮かぶ日本人は何人いるだろうか。景福宮はこのときに日本人によって破壊されており、その旨の掲示板が至る所に立っている。僕は韓国のお客様を名古屋城に2回ご案内したことがあるが、全員豊臣秀吉のことは当然のように知っていた。韓国人は日本の歴史に詳しく、。それに引き替え、自分も含め、日本人は韓国の歴史をあまりにも知らない。3月1日は抗日独立運動記念日であり、8月15日は光復節であり、ともに休日となっている。
<追記>
2004年1月11日。4年半ぶりにソウルを訪れ、李舜臣像を写真に撮ることが出来た。銅像は世宗路と鐘路の交差点に有るが、歩道が無いので像の近くに寄ることが出来ない。
李舜臣は1545年に生まれており、豊臣秀吉の朝鮮出兵を迎え撃ち、亀甲船という舟を使って日本側の水軍を破ったが、自分は戦死した。
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