このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

中国(上海・蘇州・無錫)−17 無錫の見所編

 
 無錫から蘇州に帰るバスは17時が最終だったと記憶している。「地球の歩き方」を確認してみると、長距離バスターミナルが18時、長距離西バスターミナルが17時30分のようだ。鉄道に至っては15時30分まで。蘇州に帰る方は、注意したほうがよいと思う。
 ゲン頭渚公園はかなり広いので、見終わったら13時を回っていた。この後、蠡園と錫恵公園を見て回らなければならない。必然的に昼食抜きとなった。


< 蠡園 >
 蠡園(れいえん)の造営は1927年なので、それほど歴史が有る場所ではない。
 この場所は、越王勾践の家臣である範蠡ゆかりの地であるそうだ。範蠡という人物は無名といっても差し支えないと思うが、この男は実にうらやましい生活をここで送った。中国の四大美人の一人、西施と一緒にここで暮らしたのである。西施は中国の美人の代名詞である。魯迅の「故郷」の中でも、「豆腐西施」という言葉が出てくる。松尾芭蕉も 俳句 で使っている。「ひそみに倣う」という言葉の語源も西施である。
 ちなみに他の美人三人は、楊貴妃、王昭君、貂蝉(ちょうせん)というそうそうたる顔触れである。

西施像
インスタントカメラにズーム機能が無いのが悔やまれる。
春秋閣


< 錫恵公園 >
 錫恵公園は明代の造園である。錫恵公園の中には寄暢園という名園がある。清の康熙帝と乾隆帝がそれぞれ6回も訪れているという名園である。北京の頤和園は、乾隆帝が寄暢園を基につくったが、「やはり寄暢園には及ばない。」と嘆いたと言われている。
 そんな名園の寄暢園だが、小雨がちで暗かったこともあり、残念ながら写真を現像できなかった。ここに紹介できないのが残念である。

錫恵公園


< 清名橋 >
 尾形大作の名盤「無錫旅情」のB面は「清名橋から」という曲である。それだけのためにタクシーに乗って写真を撮りに行った自分を偉いと思う。ただ、もう夕方だったので暗くしか写っていないのが残念だ。

清名橋

 清名橋で写真を撮った後のこと。無錫駅そばのバス乗り場に向かう路上で、運転手が中国語で何やら話しかけてきた。「蘇州」という言葉が聞き取れた。以下は中国語の会話である。
「蘇州に泊まるのかい?」
「ええ。」
「それならこのまま蘇州まで乗っていきなよ。」
「いや、タクシーは高いからね。」
 そう答えながら、日本円で3,000円程度なら乗ってしまおうかと考えていた。無錫から蘇州まで約一時間である。タクシーで3,000円ならお得だと思ったのだ。ちなみにバスでは18元(約270円)である。
 運転手から価格を提示された。
100元(約1,500円)でどうだ?
 用意していた価格の半値を提示され、とっさに僕は答えた。
「OKだ。このまま行ってくれ」
 さすがにこれ以上値切る気はしなかった。


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