このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

韓国−9 梨花荘編

 昌慶宮の次は昌徳宮に行く予定にしていたが、昌徳宮はガイドに着いて観光しなければならず、一人で勝手に歩くことが出来ない。日本語ガイドは10時30分、12時30分、14時30分の1日3回であり、僕が見る予定にしていた12時30分までは1時間ほどあった。そこで、梨花荘に行くことにした。

 梨花荘は、韓国初代大統領の李承晩の旧宅である。ちなみに「地球の歩き方 韓国」にも載っていない穴場である。昌慶宮から大学路方面に歩いて10分ほどの距離であり、やや見つけにくい。
 門の中に入ると、李承晩の銅像が迎えてくれる。やや奥に入ったところに記念館がある。右下の写真をご覧いただくとわかると思うが、記念館は「コ」の字形をしているが、これは朝鮮の伝統的な建築方式だそうだ。建物の外部には李承晩の写真が飾られており、内部には記念品が展示されている。

李承晩梨花荘

 さて、世界史用語集では、李承晩はこのように紹介されている。

 韓国の政治家。米国を中心に海外で独立運動を進め、日本敗北後、帰国して、大韓民国初代大統領(任1948〜60)に就任。反共親米政策を進めたが、1960年学生などの民衆デモをまねいて失脚。

 李承晩も、評判の良くない人物である。こんなエピソードがある。

 朝鮮戦争(1950〜1953)が始まった際、李承晩政権は、「韓国軍がソウル北方に向かって進行中なので、ソウル市民は安心して生業に従事せよ。」という言葉を繰り返しておきながら、自分は南に逃走。一般市民だけでなく、大多数の国会議員まで李承晩の逃走を知らなかったというから情報管制が徹底している。それもただ逃げたのではなく、漢江にかかった橋を爆破しており、その際に千人以上の避難民が爆発に巻き込まれて亡くなったという。漢江より北に住んでいた韓国の国民は、政府に見捨てられたことになる。三ヶ月後、ソウルに戻った李承晩が打ち出した方針は、見捨てた国民に対して謝罪するというものではなく、敵に協力した市民を探索して厳しく処断する、というものであった。

 ちなみに、これは「韓国現代史(韓洪久著)」を読むまで知らなかったのだが、朝鮮戦争の停戦協定は、国連軍と中国・北朝鮮の間で結ばれており、韓国は当事者ではない。李承晩は朝鮮戦争の停戦には最後まで反対しており、停戦協定に署名しなかったのみならず、それをひっくり返してやると脅すことでアメリカと相互防衛条約を獲得。韓国軍の増強、米国の軍事・経済的援助を勝ち取った。

 その後、李承晩は1960年4月に学生デモなどの民衆蜂起があり、大統領は1960年4月から張勉となるが、1961年5月に朴正熙が軍事クーデタで政権を獲得。軍事独裁を続けてきた朴正熙が1979年に暗殺されると、軍人の全斗煥が実権を掌握するが、87年に反政府運動を抑えきれずに退陣。1988年より盧泰愚、1993年より金泳三、1998年より金大中となった。

 2003年から大統領となったのは盧武だが、2004年3月12日に弾劾訴追案が可決され、職務権限が停止された。国会議員が乱闘するのは日本と台湾だけではなかったらしい。どのような決着になるのか予想がつかないが、韓国のGDPは世界で第12位だそうで、与える影響は小さくない。早期安定を目指して欲しいところだ。



 

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