このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

韓国−16 景福宮編(その2)

  景福宮の奥の方に、閔妃のレリーフが建っており、その脇の建物には、日本軍に閔妃が襲われる絵が描かれている。

閔妃のレリーフ日本軍に襲われる閔妃

 日本史用語集では閔妃殺害事件は次のように説明されている。

1895年10月、高宗妃の閔妃を公使館守備隊が殺害した事件。三国干渉以後、親露反日政策をとる閔妃を新任の駐朝公使三浦梧楼が指揮して殺害、大院君の親日内閣を結成した。

 これだけ読むと、日本軍が邪魔な妃を殺害したように受け取る人が多数であろう。この事件について、「日韓禁断の歴史」では次のように説明されている。以下は僕の要約である。

 2001年、韓国で「明成皇后」というドラマが放映され、年間最高視聴率を記録した。ドラマは、悪辣な日本公使・三浦梧楼が浪人をけしかけて朝鮮の王宮に侵入、救国の希望である明成皇后(閔妃)を無残に殺害する、というもので、ドラマだけでなくサントラまで大ヒットした。
 
それでは、事実はどうなのか。
 
 かつて、韓国では「閔妃のような女」といえば女性に対する最大の侮辱であったという。それほど閔妃は朝鮮を滅ぼした王妃として人民の侮蔑の対象であった。

 閔妃は王妃になって以来、高宗の愛妾たちをことごとく捕らえて拷問したり殺害したりした。国家の金を湯水のように使ったために朝鮮の国庫は破綻し、全ての公務員への給料が払えなくなった。そのために官吏はいっさい仕事をせず(給料を貰えないのであれば当然だが)、私腹を肥やすことに精を出した。
 1894年、東学党の乱が勃発すると、その鎮圧を口実として清と日本が朝鮮に出兵。日本政府は、清と朝鮮政府に施政改革と朝鮮の独立を提案したが、清と朝鮮政府はこれを拒否。日本軍は朝鮮の王宮を占領し、改革派政府に交代させた。
 日清戦争終了後の三国干渉で日本が朝鮮から撤収すると、閔妃はロシアをバックに再び政権を掌握し、改革派政府の成し遂げたあらゆる改革の成果を無にした。そこで、当時朝鮮革命勢力を率いていた朴泳孝は閔妃を排除することを決意した。彼は日本政界の実力者に閔妃除去の必要性を訴えるとともに、朝鮮に残っている同志に密使を送った。彼の説得により、日本側が軍事行動を受け持つこととなり、多くの朝鮮の革命家が参加した。
 1895年8月20日、日本を中心とした革命軍は景福宮を急襲し、閔妃を殺害。時を同じくして、大院君(国王高宗の父)は次のようなソウル市内に次のような掲示をした。

 「近年、閔妃を中心とする一派が善良なる者を排斥し、狡猾なる者を用いて維新の大業を中断した。ゆえに500年の宗社(国家)は一国の猶予もなき危機に直面している。余は宗臣としてこれを座視できない。したがって、このたび入闕して大君主(国王高宗のこと)をお守りし、邪悪な輩を追い出し、維新の大業をなして500年の宗社を守ろうとするものである。民は案ずることなく生業を守り、軽挙妄動してはならない。万一、民と軍人の中に余のゆくてをさえぎる者あらば、これは大罪ゆえ、後悔なきようにせよ。」

 閔妃の死んだ数日後、国王高宗も、閔妃を非難する勅書を発表している。高宗以外の誰かが文面を考えたものかもしれないが、それでもその勅書は、当時の世論の支持を受けていたとのことである。
 
 長々と書いたが、要するに暴虐の限りを尽くした王妃を、国の将来を案じた朝鮮の改革派の依頼を受けた日本軍が殺害し、その件について国王も国王の父も同意したということである。この本が事実だとすれば、あくまでも事件の主体は日本ではなく朝鮮であり、景福宮の掲示も、日本史用語集も共に間違っていることとなる。
 
 僕は、戦前の軍国主義を決して認めるわけではないけれど、全否定するのも誤りであると思う。もし、閔妃殺害事件の事実が「日韓禁断の歴史」の通りだとすれば、日本政府は景福宮の掲示については正式に訂正を申し入れなければならず、日本の文部科学省は日本史用語集に書き直しを命じなければならないはずだ。
 仮に韓国政府に上記の申し入れをすると、このような回答が返ってくるはずだ。「内政干渉だ。」と。「日本は正しい歴史認識をしていない。」という指摘も受けることとなるであろう。それでは、首相の靖国参拝についていちいち騒ぎ立てるのはやめてほしいものだ。もっとも、日本国内でも靖国参拝に反対する政治家や違法と判決する裁判官までいるのだから困ったものである。

 ここ数年、中国と韓国が反日の動きを強めているのが気になる。靖国問題の他にも、中国とは尖閣諸島問題、西安の留学生寸劇事件、瀋陽の総領事館事件があり、韓国とは竹島問題、日本海問題などがある。
 これらの問題に対し、日本は謝罪外交を繰り返しているだけのように見える。日本はいつまで謝罪を続けるのだろうか。反論すべきことはきちんと反論する毅然とした対応を取って欲しいものだ。



 

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