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9. 竜馬がゆく(その1) 年表編  


 幕末の風雲児、坂本竜馬。司馬遼太郎は、あとがきの中で竜馬をこのように評している。

 坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。
 たしかに、そうであったろう。同時代に活躍したいわゆる英雄、豪傑どもは、その時代的制約によって、いくらかの類型にわけることができる。型破りといわれた長州の高杉晋作でさえ、それは性格であって、思想までは型破りではなかった。
 竜馬だけが、型破りである。
 この型は、幕末維新に生きた幾千人の志士たちの中で、一人も類例をみない。日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか。

 筆者は、この人物を通して、幕末の青春像をかいている。坂本竜馬をえらんだのは、日本史が所有している「青春」のなかで、世界のどの民族の前に出しても十分に共感をよぶに足る青春は、坂本竜馬のそれしかない、という気持でかいている。

 

 ここで、坂本竜馬の一生を確認しておきたい。彼は32歳の誕生日に暗殺されている。活躍した期間は1865〜67年のわずか3年間である。

竜馬関連事項
1835
天保6
11月15日、郷士坂本長兵衛の次男として高知に生まれる。
1853
嘉永6
3月 江戸へ出立。北辰一刀流千葉定吉に入門。剣術を学ぶ。
1862
文久2
3月 脱藩。
10月 勝海舟をたずね、その場で入門。
1864
元治元
5月 幕府、神戸海軍操練所開設を布告。竜馬は塾頭となる。
1865
慶応元
5月 長崎に亀山社中設立。
1866
慶応2
1月 桂小五郎、西郷吉之助、大久保一蔵、小松帯刀と面談。薩長同盟の密約成る。
2月 楢崎龍と結婚。
6月 第二次長州征伐で、軍艦を率いて長州藩とともに戦う。
1867
慶応3
4月 亀山社中を 海援隊 に改編し、隊長に任命される。
4月 いろは丸衝突事故。紀州藩より賠償金を得る。
6月 「船中八策」を起草。
10月 徳川慶喜 二条城にて大政奉還。
11月15日 京都の近江屋で刺客に襲われ、死亡。



それでは、次のページから竜馬関連の場所をご紹介したい。

 

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