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13. 竜馬がゆく(その5) 亀山社中編  


 竜馬は、長崎に海軍会社を設立する。

< 亀山社中 >

 その日から竜馬は、家老小松帯刀の屋敷を宿所とあてられた。
 ここでかれは、つぎつぎに訪ねてくる藩の要路の者や有志に会い、竜馬の入薩の最大目的である海軍会社建設のことを説いた。
「平時は、商売ですらァ」
といった。このことは、元来貿易熱心なこの藩の役人にひどく魅力的だった。
「長崎に根拠地を置き、内国貿易では長崎大阪のあいだを往復し、密貿易にあっては長崎上海間を往復する。往復するだけで莫大な利益になります。」

船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、
「長崎は、わしの希望じゃ。」
と、陸奥陽之助にいった。
「やがては日本回天の足場になる。」
ともいった。竜馬の「会社」は、すでに薩摩藩を大株主に入れることに成功している。あと、長州藩を入れたい。
「犬猿の仲の?」
と、陸奥はおどろいた。
「金が儲かることなら、薩摩も長州も手を握るだろう。」
と竜馬は政治問題がむずかしければまず経済でその利を説くつもりであった。要するに政治的には薩長を同盟させて討幕に時勢を転換させるとともに「討幕会社」として長崎で両藩の資金資材持ちよりの会社をつくり、大いに軍資金をかせぐ一方、外国製の銃砲を両藩にもたせ、幕府を倒してしまう。新政府が出来ればこれを国策会社にして、世界貿易をやる。

亀山社中
ご覧の通り、内部には幕末関連の写真・資料が展示されている。
長崎本線長崎駅
長崎県長崎市

坂本竜馬像
亀山社中のそばの風頭公園

 亀山社中と竜馬像はかなり急勾配の坂道を登っていく。僕が行ったのは1996年11月だが、11月だというのに汗だくになった。8月の炎天下は避けたほうがよいかもしれない。
 のどが渇いたのでビールを買いに行ったところ、これまたかなりの距離を歩いた。竜馬像の下でビールを飲みたいと思っている方は、持参したほうがよいと思います。竜馬の視線の方向には長崎港が広がっており、市内を一望することが出来ます。一見の価値有り。ビールの味も格別です。


< グラバー >
 亀山社中は、長州藩が小銃と軍艦を買うというビジネスを仲介する。仕入先は、英国人グラバーであった。

 やがて英人トーマス・ブレーク・グラマーの商館の前まで来ると、社中の高松太郎が立っていて、なかへ案内した。竜馬の姉千鶴の子である。
 グラバーは待っていた。
 一同を奥の私室に案内し、愛想よく接待した。
 会話はさほど不自由しなかった。聞多、俊輔はわずかな日数とはいえロンドンに行っていたし、饅頭屋も片ことながらしゃべれるし、グラバー自身もすこしは日本の武士のことばが理解できた。
 「引き受けましょう。」
 とグラバーはいった。
 「物を売ることはセッシャの仕事ですから。」

 その夜、井上、伊藤、それにまんじゅう屋の三人は、丘の上にあるグラバーの新築屋敷でとめてもらうことにした。こんにちまで、グラバー邸として長崎市役所の手で保存されている洋館である。
 夜陰に入って、三人は、グラバーにともなわれて大浦海岸の商館をひっそりと出た。途中、幕吏に疑われたときの用心に、まんじゅう屋は薩摩藩の提灯を三つ用意し、ふたりの長州人にももたせた。
 三人の壮士、一人の英国人が、ほそい、まがりくねった坂をのぼってゆく。
 (天下ひろしといえども、この四人の密計をたれも知らない)
 まんじゅう屋は、血のさざめき立つような感動に襲われた。歴史が、この四人の手でかわるのである。幕軍が長州の国境に攻めてくれば、いま買いつけた四千三百挺の新式銃と三千挺のゲベール銃が火を吹き、かれらを潰滅におとし入れるであろう。
 (軍事に負ければ政府は倒れる)
 と、竜馬にきいたことがある。
 まんじゅう屋は、ゆっくりと坂を登った。自分が、史劇のなかにいるような思いがした。

グラバー像(グラバー邸にて)
長崎県長崎市
長崎駅から市電


 

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