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15. 竜馬がゆく(その7) 寺田屋事件編
薩長連合が成立したまさにその夜。竜馬は寺田屋で休んでいるところを、伏見奉行所の幕吏に襲撃される。この男の人生はなぜこんなにドラマチックなのだろうか。ここも名場面の一つである。
この夜、林肥後守は竜馬が寺田屋に入ったという報告をきき、みずから探索と捕殺の指揮をとるべく午前一時すぎから役所に出ていた。
人相書にまぎれもない。
ということがわかると、非番の役人をことごとく奉行所にあつめさせ、かつ見廻組にも連絡した。
与力同心以下百人ぐらいの人数が奉行所にあつまったのは午前二時ごろである。
捕吏には、棒、梯子、刺股を持たせ、同心以上は鎖帷子を着けさせた。与力の何人かは兜の鉢金をかぶって、ものものしい支度をした。
かれらは提灯の火を消し、人目にめだたぬよう人数をすこしずつ繰り出して寺田屋のまわりを取りかこんだ。
包囲がほぼ完了したのは、午前三時ごろである。
竜馬は浴衣の上に綿入れをかさね、なお三吉慎蔵を相手に飲んでいた。
おりょうは素裸になった。
小柄だが、色が白く、肉付きがしまって、敏捷な森の小動物をおもわせるような体をもっている。
湯殿は、宿のそれだから普通の家庭のものよりも三倍ほどに広い。
寒がらぬ娘だ。
ゆっくりと戸をあけ、なかに入り、鉄砲風呂のふたをとった。
濛、と湯気があがり、薄暗い湯殿行燈が、いっそう暗くなった。
奇妙なことに気づいた。
湯気が、流れているのである。
(なんだ・・・・・・)
と、おりょうはわれながら、自分のうかつさがおかしくなった。窓があいている。
窓は裏通りに面している。
おりょうは手をのばしてそれを閉めようとして、あっと声をのんだ。
裏通りに、ぴっしりと人がならんでおり、提灯が動いている。
(捕吏。)
と思ったとたん、おりょうはそのままの姿で湯殿をとびだした。自分が裸でいる、などは考えもしなかった。
裏階段から夢中で二階へあがり、奥の一室にとびこむや、
「坂本様、三吉様、捕り方でございます。」
と、小さく、しかし鋭く叫んだ。
この乱闘の場の光景は、筆者が描写するよりも、竜馬が、のち兄権平に書き送ったかれ自身の文章のほうが、より真実をつたえるのに適している。
此時も又、敵の方は、ドンドン障子を打ち破るやら、
からかみを踏み破る様の物音すさまじく、
然れども一向、手元には参らず。
竜馬と三吉慎蔵が戦っている間に、おりょうは伏見の薩摩藩邸へと駈け出していた。おりょうから一報を聞いた留守居役大山彦八は邸内にいる藩士を武装させて待機させる一方、京の薩摩藩邸にいる西郷に知らせ、かつ寺田屋に状況確認に行かせた。しかし、藩士が寺田屋に着いたときには、竜馬と三吉はすでに寺田屋から脱出していた。竜馬は左手の指を切られており、出血が止まらないので、木場で隠れていることにした。傷の浅かった三吉が伏見の薩摩藩廷に駈けこみ、竜馬は無事に救出される。
< 寺田屋 >
寺田屋は現在も旅館として営業を続けているが、日中は見学も可能である。邸内には竜馬と三吉が戦った部屋、弾痕や刀傷、おりょうが入っていた風呂などを見ることが出来る。写真も数多く展示されており、武田鉄矢とご主人(?)のツーショットも飾られていた。
寺田屋
京阪電鉄 京阪本線 中書島駅
京都府京都市
寺田屋の庭にある竜馬像
< 京都タワー >
悪名高き京都タワー。高さは131メートルである。上りエレベーターはビルの11階から一気に展望台まで上がっていくのだが、下りエレベーターは13階で止まる。13階から11階まで、観光客は展示室を歩いていかざるを得ないという構成だ。その展示室は京都の一年を彩る祭りを人形などで表現したものであり、その安っぽい作りが独特の雰囲気を醸し出している。その中に、全国の竜馬ファンに喧嘩を売っているとしか思えない、竜馬像がある。寺田屋の前でたたずむ竜馬像だ。
京都タワー
東海道新幹線 京都駅
京都府京都市
京都タワーについての詳細なレポートは、リンク集に追加させていただいている「Office Y2」の こちら をどうぞ。
< 寺田屋追記 >
2003年4月6日(日)。約1年ぶりに伏見を訪れた。前回は見落としていたが、寺田屋のそばにきれいな場所があったのでご報告したい。川沿いの柳が実に美しい。何人も写生をしていたのが印象的である。今が一番美しい時なのだろうか。
春らしい風景 川下りも楽しめる。
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