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11. 竜馬がゆく(その3) 勝海舟との出会い編
土佐を脱藩した竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。
竜馬、重太郎のふたりは、たんねんに刀の目釘をしらべてから、赤坂元氷川下の勝の屋敷をめざして出かけた。
重太郎は、意気揚々としている。
寝待ノ藤兵衛が、中間の風体でつき従った。
軍艦奉行並勝麟太郎の屋敷は、例のツッカイ棒で倒潰をふせいでいた赤坂田町のぼろ家ではない。この元氷川下の屋敷に移ってからすでに三年になる。建物は古ぼけているが、敷地は千石並の旗本屋敷らしく、ずんとひろい。
勝は、この氷川の屋敷がひどく気に入っていた。明治三十二年、七十七歳で亡くなるまでここを住まいとし、その死を悼む勅使が入ったのも、この屋敷である。
やがて勝は、くるりとこちらを向いた。
竜馬と重太郎は、型どおりのあいさつをして顔をあげた。
(変わった貌じゃな)
竜馬は、まずそのことに感心した。
顔の彫りが深く、どちらかといえば横浜の西洋人に似ている。ただ小柄で、色が黒く、眼が異様であった。大人の眼ではなく、こどもの眼である。好奇心にみちた腕白小僧のようにきらきら光っている。
(中略)
つぎは、竜馬の顔をみた。
(こいつ、ものになるな)
と、勝はおもったという。後年、この口うるさい勝は、西郷と竜馬をとくに指して、「英雄」という称をつかったが、この初対面のときにすでにそういう直覚をもった。竜馬を「英雄」とみてくれた最初の男は、勝海舟だろう。
(それならば、それを実行できぬ幕府をぶっ倒して、京都を中心とする政府をつくり、それで日本を統一し、人材があればたれでも大老、老中にさせるような国家をつくればよいではないか)
こいつはおもしろい、と竜馬はうきうきしてきた。
まったく平明すぎるほどの実利的倒幕論というべきもので、こんな発想をもった倒幕主義者は、ついに幕末、竜馬以外には、まず出現しなかったであろう。
多くは、武市半平太のように勤王一すじの復古的倒幕論者であり、桂小五郎、西郷隆盛など、ものわかりのいい連中さえ、この傾向が強かった。とくにこの三人は、長州、薩摩、土佐といった強藩を背景とし、自藩の利益や立場を考えすぎた。
そこへゆくと竜馬は、脱藩の見だから、平明磊々としている。
(倒さにゃいかんな)
幕臣勝麟太郎が説けば説くほど、竜馬はそのことばかりを考えていた。
勝は、しきりと外国の話をした。
ところが、竜馬とはまったくちがう受けとりかたをしているのが、竜馬の横にいる尊王攘夷主義者の千葉重太郎である。
(やっぱり夷臭の男だ。こいつを一刀両断せねば日本はどうなるか)
「勝先生」
重太郎は膝をにじらせた。その殺気、脇差で抜き打とうとしている。
瞬間、それを察し、竜馬は勝にむかい、大きな体を折って平伏した。
「勝先生、わしを弟子にして仕ァされ。」
機先を制せられて、あっと重太郎がひるんだ。いや勝自身が、ぽかんと口をあけきったままである。勝は、竜馬が奇略で自分を救ってくれた、と事情がわかるまでにだいぶ時間がかかった。
< 勝海舟 赤坂元氷川の家 >
赤坂駅から氷川神社に向かって歩いていくと、元氷川坂という道があり、その道の交差点に勝海舟邸跡がある。現在は喫茶店かバーになっている。営業時間外だったので、残念ながら中に入ることは出来なかった。周囲は、繁華街赤坂のそばとはとても思えないほど静かな場所だ。
勝海舟邸跡
千代田線赤坂駅
東京都港区
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