このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2−2. おくのほそ道(旅立ち〜石の巻)  



芭蕉と曾良は東北に入ります。

白河の関〜飯塚
(福島県)
白河の関卯の花をかざしに関の晴着哉
須賀川風流の初めやおくの田植うた
世の人の見付けぬ花や軒の栗
あさか山
忍ぶの里早苗とる手もとやむかししのぶ摺
佐藤庄司が旧跡笈も立ちも五月にかざれ紙幟(かみのぼり)
飯塚


< 白河の関 >

 「白河の関」を越えると、いよいよみちのくである。
 白河の関は五世紀の初めに蝦夷警護のため設けられ、奥州藤原三代のころまでは有ったのだが、鎌倉時代にはすでに廃れてしまっていたらしい。芭蕉が訪れたころには何も残っていなかった。時代は下って1800年に当時領主だった松平定信が「古関蹟」を立てたので、現在では白河の関といえばここのことを指す。
 ちなみに白河の関はバスが数時間に一本しかなく、非常に交通不便である。結局往復ともにタクシーとなってしまった。

白河関の森公園
東北本線白河駅からタクシー20分
福島県白河市
古関蹟

復元された白河の関復元された小峰城
修理中のため中に入れなかった。
東北本線 白河駅前


< 福島 >
 「あさか山」の章の最後の部分で、二人は福島に泊まっている。それを記念して小さな銅像が福島交通のバスターミナルにひっそりと立っている。

福島交通 福島駅前バスターミナル
福島県福島市


< 文知摺観音 >
 
 もちずり石は小倉百人一首でも取り上げられている。芭蕉と曾良はこのもちずり石を見に行っている。

河原左大臣 源融 「古今集」
みちのくの 忍ぶもちずり 誰ゆえに みだれそめにし 我ならなくに

 ここも交通不便である。行きはタクシーを使ったが、帰りはタクシーが全然つかまらず、バス通りまで30分ほど歩く羽目になった。タクシーを待たしておくか、名刺を貰っておくべきだろう。

文知摺観音
福島駅からタクシー20分
福島県福島市
文知摺石


< 医王寺 >
 
医王寺は、源義経の重臣であった佐藤継信・忠信兄弟の墓で有名である。継信は屋島の戦いで義経の身代わりになって死に、忠信は京都の堀川で義経一行を脱出させ、自らは身代わりとなって頼朝の追っ手に討たれている。その後義経一行は平泉に行く途中で父親の佐藤基治を訪ね、この医王寺で追悼の法要を営んだと言われている。
 医王寺内の薬師堂の隣には佐藤一族の墓がある。また、宝物殿には芭蕉銅像のほかに義経・弁慶ゆかりの宝物が展示されている。

医王寺
福島交通 医王寺駅 徒歩10分
福島県福島市 


< 飯坂 >
 飯坂で温泉に入った後、芭蕉は粗末な家に泊まっている。蚤と蚊のために寝られず、持病まで起きて気絶しそうになったらしい。その割には翌朝もう出発しているのだが、ここで僕は疑問が有る。この先の行程は長いのに、なぜここで湯治しなかったのだろうか。

福島交通 飯坂温泉駅前
福島県福島市


 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください