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2−3. おくのほそ道(笠島〜石の巻)
笠島〜石の巻
(宮城県)笠島 笠嶋はいづこさ月のぬかり道 武隈の松 桜より松は二木を三月越し 宮城野 あやめ草足に結ばん草鞋の緒 壷の碑 − 末の松山・塩竃の浦 − 塩竃の明神 − 松島 松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす 曾良 石の巻 −
< 白石 >
笠島の章の最初に、「白石の城を過ぎ」という一節がある。白石城は木造で再建されており、これは全国でも珍しい。
白石城と明治の大横綱大砲万衛門
東北本線白石駅 徒歩15分
宮城県白石市
< 多賀城 >
芭蕉は壷の碑が残っていたことに涙を流すほど感動したらしい。壷の碑が立てられたのは聖武天皇の頃である。聖武天皇が在位していたのは西暦724年から749年までである。聖武天皇は東大寺大仏の鋳造を祈願し、苦難の末日本にやってきた鑑真に会っており、また彼の遺品は正倉院に保管されている。山上憶良が貧窮問答歌を詠んだのもこの頃だ。芭蕉が訪れたのは1689年だから、その時点で900年以上前の碑が立っていたことになる。
僕もお堂の隙間から中を覗いてみたところ、表面にうっすらと「天平」の文字が見えた。今から1200年以上前の碑が残っていることに、涙を流すほどではないが感動した。
壷の碑
仙石線 国府多賀城駅 徒歩10分
宮城県多賀城市
多賀城址
壷の碑と同じ場所
< 末の松山 >
末の松山も百人一首で歌われている。
清原元輔 後拾遺集
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪越さじとは
上の多賀城址から末の松山までは徒歩40分という結構な距離があった。それほど魅力的な道路でもないので、バスかタクシーの方がよいと思う。ただ、バスもタクシーも見掛けなかったような気もする。
末の松山と沖の石はすぐそばにある。末の松山は公園にでもなっているのではないかと思っていたが、寺の裏に松が2本生えているだけであった。
末の松山 沖の石
宮城県多賀城市
東北本線多賀城駅 徒歩10分
<松島>
芭蕉が「松島やああ松島や松島や」という句を詠んだというのは俗説である。「おくのほそ道」の松島の章に芭蕉の句はない。発表するのにふさわしい出来映えではなかったということらしい。
五大堂
仙石線 松島海岸駅
宮城県宮城郡松島町
右の写真は素人っぽいアングルでお恥ずかしい。
<石巻>
僕は、石巻は電車の乗り換えで駅前を30分ほど歩いただけで、芭蕉の史跡を見てはいない。芭蕉像も有るらしいので、いずれもう一度訪れてみたいところだ。
ここでは、気になる看板をご紹介したい。
古美術 優游(?)
仙石線 石巻駅
宮城県石巻市
いまだにのらくろが人気らしい。石巻ロックセンター
仙石線 石巻駅
宮城県石巻市
シャネルズも流行っているらしい。
左から2番目は犯罪者になってしまった。
右上の写真の部分拡大図
< 石巻追記 >
2002年10月、気懸かりになっていた石巻を訪れた。おくのほそ道のページなのに、のらくろの看板とシャネルズ(上の画像はラッツ&スターの前だと推測される)の看板だけでは申し訳ない、とかねがね思っていたのだ。
石巻駅を降り立つと、駅前のロータリーで サイボーグ003 が迎えてくれる。日和山公園に行くにはいしのまきマンガロードを歩いていくので、数々のモニュメントを目にすることになる。日和山公園は小高い丘になっているので、眺望は抜群である。芭蕉像のほかにも宮沢賢治などの文学碑が建てられていた。
芭蕉像(逆光で申し訳ない)
日和山公園
仙石線 石巻駅 徒歩30分
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