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4. おくのほそ道(尾花沢〜酒田)
芭蕉と曾良は平泉を訪問した後、日本海側へ向かう。その道に今は鉄道が走っている。陸羽東線(小牛田〜新庄)と陸羽西線(新庄〜余目)である。両方の路線とも愛称が付いている。陸羽東線が「奥の細道 湯けむりライン」、陸羽西線が「奥の細道 最上川ライン」である。陸羽西線は最上川沿いに走るので、景観を楽しむことが出来る。両路線とも1日に10本程度しかないので、乗り遅れると2時間待ちということが十分に有りうる。慎重に行程を考えたいところだ。
尾花沢〜酒田
(山形)尾花沢 涼しさを我が宿にしてねまる也
這ひ出でよかひやが下のひきの声
まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花
蚕飼する人は古代のすがたかな 曾良立石寺 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 最上川 さみだれをあつめて早し最上川 羽黒山 有難や雪をかおらす南谷 月山・湯殿山 涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰幾つ崩れて月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)哉
湯殿山 銭ふむ道のなみだかな 曾良酒田 あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
暑き日を海に入れたり最上川
< 立石寺(山寺) >
芭蕉像
山形県山形市
JR仙山線 山寺駅曾良
立石寺
仙山線 山寺駅
山形県山形市
せみ塚(立石寺内)
仙山線 山寺駅
山形県山形市
奥の院付近からの眺望
仙山線 山寺駅
山形県山形市
立石寺(山寺) の創建は860年である。山門から奥の院までかなり急勾配の石段を上っていく。その途中、道が狭くなっていて、片足しかつけないような段がある。芭蕉と曾良も300年ほど前、その段を踏んだはずだ。芭蕉が履いていたのは下駄か?草鞋か?偉大な旅人の足跡が、そこにはある。
< 月山 >
月山 中之宮
羽越本線 鶴岡駅よりバス
山形県東田川郡朝日村
月山の登山道
山形県東田川郡朝日村
羽黒山・月山・湯殿山は出羽三山と呼ばれる。
僕が行ったのは1994年の夏のことだ。鶴岡から羽黒山までバスで行き、五重塔を写真を撮ったところ、暗かったために現像されなかった。バスの乗り継ぎ時間の関係で山頂まで行くことが出来ず、泣く泣く月山行きのバスに乗り込む。すると、年配の登山会の方が乗り込んできた。そう、月山は登山道なのだ。登山会の方はみなそれなりの服装を着込み、登山靴を履き、リュックを背負っていた。僕の格好といえば、普通の長袖のシャツにGパン、ニューバランスのスニーカーとである。肩にかけることが出来る小さな袋の中身は、コンビニで買ったおにぎりとポカリスエットという登山をなめきった軽装備である。バスの中で、僕は浮いた存在だった。
最初は座っていたのだが、登山家のおばちゃんに席を譲った。いざバスが走り出すと、予想をはるかに越えるカーブのきつい道で、立っているのが困難なくらいであった。もし座っていたら乗り物酔いで吐いていたに違いない。何とか登山口にたどりつき、ベンチで休憩した。僕のほかにも何人か登山者が休んでいた。それほど過酷な道なのだ。僕の中で不安が渦巻く。こんな気持ち悪くて、こんな軽装で登れるだろうか?ただ、バスは1日数本しかないので停留所で待っているのも苦痛である。乗り物酔いがおさまってから、意を決して登り始めた。
やや急なハイキングのつもりだったのだが、かなり本格的な登山道であった。とは言え、崖にへばりつくような危険なところは無いので、足に自信が有れば素人でも十分に登れる。月山の登山口から頂上まで2時間程度だったろうか。山頂の山小屋でお茶をいただき、そこから下っていくと湯殿山である。
此の山中の微細、行者の方式として、他言するを禁ず。仍りて、筆をとゞめてしるさず。
湯殿山 について、芭蕉はこのように書いている。文章もここで止まっている。湯殿山のご神体は他言無用である。もちろん撮影も禁止であり、土足も厳禁である。「何か不思議なものをみた。」とだけ述べておきたい。気になる方は湯殿山へどうぞ。
僕が登ったのは24歳のときである。しかもバスを使っている。芭蕉が登ったのは46歳のとき。バスは使わずにすべて徒歩。靴ではなくて下駄か草履である。芭蕉の健脚には驚くばかりだ。
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