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10. 恐怖のラーメン屋
1995年1月。阪神大震災のほんの数日前の話である。入社2年目にしてバレーボール部会計の地位にまで上り詰めた僕は、新年会の場所を予約する必要に迫られていた。いつもなら会社のそばの居酒屋を予約するところだが、たまには居酒屋以外に行きたいと言うリクエストが女子部員より入った。「私達で予約するから。」という言葉を信じて任せておいたところ、案の定ほったらかしにされてしまい、前日になっても場所が決まらないと言う事態に陥った。これはまずい、と焦った僕は仕事を切り上げて店を探しに行く事にした。女子の幹事を誘ったところ、他の部員とその友達も来ると言う事になり、女性3名プラス僕と言う構成となった。
美味しそうな店が会社のそばに見つかり、翌日の予約を済ませた僕達は、何か食べて帰ろうと言うことになった。彼女らに意見を聞いたところ、「寒いからラーメン」という回答であった。するとちょっと歩いたところにラーメン屋が発見された。早速入って、ビールとラーメン、餃子などを適当に注文した。味は普通だったように記憶している。ただ、一点気になったことがあった。その店の特製ジュースを販売していたのだ。ラーメンの写真は無いのに、特製ジュースの写真は壁に大きく貼られていた。確かマウンテン・デューのような柑橘系の色だった。疑問を感じて店員に聞いてみたところ、そのジュースはたいへん好評なので、会員になった方には定期的にお届けしていると言う。店に置いてある申込用紙に記入すれば、すぐにそのジュースを飲むことが出来るらしい。店員に薦められ、かつ女子3人にも飲めと言われたが、ビールも飲んでいることだし、ということでそのときは見送った。会員にもならなかった。
それから数日後。阪神大震災が発生した。当時船積みを担当していた僕は神戸港が使用できなくなってしまったので、仕事は大パニックとなった。折悪しく先輩が異動になってしまい、ただでさえ忙しいところに引継ぎまですることになった。そんなある日、仕事が回らなかった僕は、船会社に書類を取りに行く業務を先輩女子社員に頼んだ。その先輩女子社員は快諾してくれ、僕の替わりに八丁堀駅にあるその船会社に直行してくれることになった。
1995年3月20日。僕が会社にいるとき、その先輩女子社員から電話が掛かってきた。
「もしもし、虎羽くん?」
「はい、お疲れ様です。」
「あの、書類は貰ったんだけど、今、地下鉄が止まっているの。なんか救急車が来てるから事故でも有ったのかもしれない。ちょっと戻りが遅くなるから、よろしくね。」
そのうち、社内で放送が流れた。地下鉄が全面的に運転を取り止めているらしい。Yahoo!のニュースも無かった当時は全然情報が入ってこなかった。昼食を取りに社員食堂に行ったところ、各地下鉄で何人かの方が亡くなり、かつ千人以上も救急車で運ばれた事件が発生したことを知る。地下鉄サリン事件だ。駅の周囲で大勢の方が倒れている映像は衝撃的だった。しかも先輩女子社員に行ってもらった八丁堀駅で一人亡くなっていたことを知った。あやうく先輩を入院させるところであった。オウムの仕業と知ったのはそれから数日後だ。
「虎羽君、大変!」
警官隊が上九一色村にあったオウムのサティアンに突入してから何日か経った後、一緒にラーメンを食べに行った女子社員が血相を変えて、僕のところにやってきた。
「昨日、テレビを見てたら、あのラーメン屋が映ったの。あのラーメン屋、オウムが経営している店だって!」
僕は思わず言葉を失った。確かにオウムの道場が会社のそばにあるのは知っていたが、ラーメン屋を経営しているとは知らなかった。すると、僕にジュースを薦めた店員はオウム信者だったのか。あのジュースはグルの体液が溶けていたのか。あの申込書に記入していたらオウムに勧誘されていたのか。まさに、背筋が凍った。
後日、僕もニュースでそのラーメン屋の映像を見た。間違い無い。僕達が行ったあの店だ。事件が起きて半年くらい経ってから、そのラーメン屋は店じまいした。もうオウムとは無関係の店になっているが、その店の前を通りかかると今でも記憶が甦る。
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