このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
11. 恐怖のトンネル
1990年。前年に大学に入った僕は年末に自動車運転免許を取得していた。当時僕は神奈川県平塚市に住んでいたのだが、免許を取った平塚在住大学生が必ずドライブする場所が有った。それは横浜のベイブリッジと箱根の峠である。ベイブリッジはまだ開通して間も無い頃であり、ランドマークタワーはまだ開業していなかった。箱根の峠は走り屋の定番である。「峠を攻める。」という表現が男らしいと評価されていた。
上記に加え、我々の間で流行っていたドライブがあった。それが「心霊スポットツアー」である。今から思えば、とても大学生とは思えない幼稚な行動だ。実際にどのような場所に行っていたのか、ご紹介したい。
1.「もう死なないで 準一」 : 国道246号線善波峠(伊勢原市)
これは紫色の看板で夜になるとぼんやりと光っていた。看板の表面には「もう死なないで 準一」としか書かれていなかった。意味するところは謎だが、一説には準一という名の少年がバイク事故で亡くなり、それ以降なぜかその場所で事故が相次いだため、供養のために立てられたという。実際に善波峠は心霊体験談が多い。この看板は現在は撤去されてしまった。
2.相模病院 : 国道16号線(相模原市)
これは廃墟と化した病院である。一階の壊れた入口から中に侵入すると、いきなり手術室だ。テレビでよく見る手術台やライトもあった。そして地下に下りていくと、そこにあるのが霊安室だ。中に棺もあった。お恥ずかしい話、ここには何回か行ったのだが、その度に他のグループがいた。世の中には馬鹿な人が多い、としみじみと感じる。ちなみにここも取り壊された。
3.小坪トンネル : 国道134号線そば(鎌倉市 or 逗子市)
これは有名な心霊スポットだ。「都会に有る恐怖の名所」といった類の本には欠かさず収録されている。ここはトンネルの上が火葬場という、もはや何も言うことは無いロケーションである。多分まだこのトンネルはあるだろう。
さて、今までの馬鹿過ぎる内容に呆れ果てた方もいらっしゃるかと思うが、我慢して読み進めていただきたい。
ある日、友達3人とドライブに出かけた。その中には「怖いところが大嫌い」というH君も含まれていた。もちろん行先はH君には内緒である。その日の目的地は厚木市七沢であった。ここにも心霊スポットと呼ばれるトンネルがあり、我々はお化けが出るトンネルを省略して「オバトン」と呼んでいた。最初僕はバイト先の先輩に、昼間に連れていってもらった。昼なお暗いその雰囲気に、「これはH君を連れていくしかない。」と思った。とりあえず、 TV日記ウルトラクイズ編 登場のK君と TV日記街角カラオケ族編 登場のなぎらファンN君と夜の下見に行った。夜は一層の怖さを醸し出しており、3人とも大満足であった。3人の思いはただ一つ。H君を連れていくしかない。
決行当日、何も知らないH君はにこにこしてやってきた。残念ながらK君は参加できず、非常に悔しがっていた。代わりにN2君が参加した。H君、N君、N2君と僕の4人を乗せた車は、僕の運転で人気の無い方に入っていった。
「あれ、虎羽、どこに行くの?」
というH君の質問は軽く流して、車は「オバトン」に向かっていく。最初に現れるのは萱葺き屋根の廃屋である。ここが入口と言ってよい。なぜならこの先から街頭が消え、車がすれ違いにくくなるからだ。そのころにはH君も我々の趣旨を把握していた。
「下ろせ〜」
とシャウトするH君。
「あれ、置き去りにしていいのかな?」
などと冷血ぶりを発揮する僕。実に痛快だ。
ふと、そのとき、僕は道端に壊れた車が捨てられているのに気がついた。その車の中で運転手が自殺し、今では運転席に霊が出ると言う嘘くさい話しをバイト先の先輩から聞いていたのだが、前回・前々回は見逃していた。もう片付けられたのかと思っていた恐怖の車がそこにあった。
そのとき、恐怖は伝染した。
僕も悲鳴を上げ、手足が震えた。背中を嫌な汗が流れた。僕の変化に気づいたH君がまた悲鳴を上げ、N君・N2君も黙り込む。雰囲気を出すために車内の音楽は掛けていなかった。車の中を沈黙が支配した。ついにオバトンが我々の前に姿を見せた。見えては行けないものが見えてしまうという噂のトンネルだ。もちろんトンネルの中に電灯は点いていない。
恐怖が頂点に達したそのとき、突然H君が歌い出した。
「♪遠くまで見える道で 君の手を握り締めた」
それは海援隊の「人として」だった。H君が自分を鼓舞するために、恐怖感を振り払うために選んだ曲は「人として」だった。
僕も、N君も、N2君も一緒に大声で歌い始めた。真っ暗なトンネルの中を、「人として」を歌いながら通りぬける馬鹿大学生4人。我々の車はついにトンネルを抜けた。ほっと息をつく。友情を再確認した瞬間であった。
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