このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

6. アメリカ横断ウルトラクイズ (その2)
  1990年8月12日。第14回ウルトラクイズの栄えある第一問はテレビでも出題された。

「ニューヨークの自由の女神には、災害や事故に備えて損害保険がかけられている。」

テレビで問題を確認した後、待ち合わせ先の平塚駅へ向かう。今回同行するのは、高校の友達K君である。彼は一浪した後、僕の通っている大学に入学してきた。もちろん僕は「虎羽先輩」と呼ぶように彼に要求したのだが、あえなく拒絶された。
  平塚駅でK君と合流して、東海道線で東京ドームに向かう。彼と相談したが、見当もつかないということで意見は一致した。東京ドームには午前7時30分頃に到着したと記憶している。確か入場締め切りが8時15分であり、第一問正解発表が9時だったと思う。東京ドームに着いてみると、第一問が掲示板に張り出されていた。掲示板の前で逡巡するK君と僕。我々は悩んだ。悩んだところで回答が出るわけではないのだが、なかなか踏ん切りがつかない。最終的に決断を下したのがどちらか覚えていないが、我々は○を選んだ。受付はがきとパスポートを見せて、三塁側よりドームに入る。

  東京ドームに入ったのはこのときが生まれて初めてだった。その大きさに圧倒される。当時近鉄のブライアントが天井のスピーカーにボールをぶつけるという快挙を成し遂げたが、それがいかにすごいことか、あらためて認識した。スピーカーはセンターの頭の上くらいのところにある。もしスピーカーが無ければバックスクリーン最上部に当たっていたに違いない。
  ウルトラクイズの参加者は先着3万名である。内野席と外野席がほぼ埋まる計算である。内野席上部(3階席?)には人が入らない。至るところに各大学のクイズ研究会のノボリが立っている。秋にはゲイバーをやる我が大学のノボリも見える。第一問の回答発表前にもかかわらず、会場は異様な盛り上がりを見せている。このとき、生まれて初めてウェーブにも参加した。

  9時を若干回った頃、ファンファーレが鳴り響き、テーマソングとともに福留アナの登場だ。ドームのボルテージが一気に跳ね上がる。ここで、ウルトラクイズの敗者の中の敗者という方が登場した。なんと10年連続1問目で間違えているという方である。みんなの「来るな。来るな。」というコールを全身に受け止めながら、我々の座っている三塁側に彼はやってきた。次に前年優勝者のクイズ王長戸氏の優勝旗返還が行われた。留さんに解答を尋ねられ、長門氏は×の方に走っていってしまった。盛り上がる一塁側と悲鳴が聞こえる三塁側。嫌な予感が脳裏を掠める。

  ついに第一問の正解発表の時間がやってきた。クイズに異常に燃えた中学校の時の記憶が走馬灯のようによみがえる。中学校のときから出場したいと思い、8年間待った。8年間の想いを握り締め、正解発表を待つ。
「みんな、ニューヨークへ行きたいかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「罰ゲームはこわくないかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「どんなことをしてもニューヨークに行くぞおおおおおおおお!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
その迫力はテレビの比ではなく、体験した者しか分からない。スタンドの全員が立ちあがっている。もはや新興宗教を超えているといっても過言ではないほど、その目は怪しい光を帯びている。
「○の方、自信は有るかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「×の方、自信は有るかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
手拍子をたたきながら自分の答えを連呼するスタジアム。もちろんK君と僕も○を連呼した。頼む、正解であってくれ。
「答えは、オーロラビジョンが知っている!!!!!!!!」
固唾を飲む参加者。緊張で胸は張り裂けそうだ。手のひらにも汗がにじんでいる。一瞬の静寂の後、オーロラビジョンに正解が映し出された。
正解
歓喜の一塁側と、沈みこむ三塁側。K君と僕は思わずベンチに座り込んだ。二人とも、いや三塁側全員が放心状態だ。オーロラビジョンの×が涙でにじむ。8年間の想いは、砕け散った。来年もまた来よう、僕はそう決心した。僕はもうウルトラクイズの虜になっていた。 (続く)


    
   

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