このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

7. アメリカ横断ウルトラクイズ (その3)
  1991年8月11日。留さん引退の噂は確かに耳に入っていた。でも信じたくない、間違いであって欲しい。留さん抜きのウルトラクイズなんて考えられない。そんな気持ちを抱きつつ、第一次予選の日を迎えた。前年に引き続き同行予定だったK君に急用が入ってしまい、この年は一人でドームに向かった。
  第15回ウルトラクイズの栄えある第一問は、次のような問題であった。

「アメリカの象徴、自由の女神を他の国が国旗に採用してもアメリカの許可は要らない。」

今回は残念ながら相談が出来ない。とりあえず訳も無くドームの周囲を歩いてみたが、回答が入手できるわけも無い。まだ入場締切には時間が有ったが、意を決して○を選び、三塁側よりドームに入った。

  9時から第一問正解発表。それは留さんの引退表明で始まった。知力・体力・時の運のうち、体力の限界を感じたと言う。同じ年の5月場所3日目に貴闘力に「とったり」で敗れた第58代横綱千代の富士が「体力の限界、気力の限界」という言葉を残して引退している。留さんも何か共感するところが有ったのかもしれない。ちなみに千代の富士最後の一番を僕は両国国技館で目撃している。一生の自慢である。
  留さんの引退演説は続く。テレビ放映ではわずか10分程度だったが、実際はもっと長かった記憶がある。周囲には涙ぐむ人達もいた。「留さんやめるな。」と声も掛かる。僕も思わず目頭が熱くなった。これが留さん最後の名調子である。沈んだ空気を吹き飛ばすようなテンションの高さである。
「みんな、ニューヨークへ行きたいかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「罰ゲームはこわくないかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「どんなことをしてもニューヨークに行くぞおおおおおおおお!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」

 ここで、一息入れるべく昨年度チャンピオンの登場だ。彼は僕のいる三塁側へやってきた。続いて11年連続1問目落ちの方がやってきた。彼には疫病神というあだ名がつけられていた。ドームを包み込むような「来るな」コールの中、彼は一塁側へ走っていった。
 いよいよ一問目の正解発表だ。前年のような悔しい思いはしたくない。
「○の方、自信は有るかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「×の方、自信は有るかああああああああ!!!!!!!!」
「うぉおおおおおおおお!!!!!!!!」
「答えは、これだ!!!!!!!!」
固唾を飲んでオーロラビジョンを見つめる。わずか数秒間、ドームが静まり返る。
正解

 
僕は思わず拳を握ったまま立ちあがっていた。見知らぬ周囲の人達とも握手をして喜びを分かち合う。中学生の時からこの瞬間を夢見て、9年間待った。ひょっとしたら感激のあまり泣いていたかもしれない。興奮が脊髄から脳天まで突き抜ける、そんな嬉しさであった。
  「最後のときが近付いてまいりました。」
留さんの声にふっと興奮が冷める。
  「僕の後任はこの人、
福沢ジャストミート朗です。」
バックスクリーンからドライアイスが吹き出て、その中から福沢アナが現れた。

 (続く)


    
   

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