このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


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. 「未完の大器」に関する考察


 2006年11月6日。Yahoo!のニュースを見ていたら次のような記事を発見した。

平山太りすぎ…サッカー選手にあるまじき体脂肪率15%

 平山相太が最近太り気味とは聞いていたものの、体脂肪率まで全国的に公表されてしまうほどの太り方とは知らなかった。ちなみに体脂肪率15%とは、一般人では「低い」と「適正」の境目のようだが、90分以上走り続けるサッカー選手としては確かに多い方であろう。このまま「未完の大器」のまま終わらないように精進してほしいものだ。

 さて、スポーツ界で未完の大器のまま終わってしまった選手について考察してみたい。

 まず、同じサッカーでは小倉隆史であろう。将来を嘱望された選手だったが、アトランタ五輪直前の合宿で靭帯を断裂する怪我を負ってしまった。怪我さえなければ、フランスや日韓のワールドカップにも出場していたはずだ。今年のドイツワールドカップにも出場し、柳沢の代わりに決めていたかもしれない。惜しまれる未完の大器といえる。

 野球界では、まずピッチャーではヤクルトの酒井圭一を挙げたい。「サッシー」というあだ名が付けられた彼は地区大会でわずか1点しか取られなかった。甲子園に出場しても快進撃は続き、準決勝でPLに負けてしまうのだが、5試合完投して、被安打16、自責点3、防御率0.56である。(こちらの ページ を参考にしました。)ドラフト1位の鳴り物入りでヤクルトに入団するが、1977年から90年まで在籍して通算6勝12敗。1980年の4勝が最高であった。
 最近ではソフトバンクの寺原隼人が未完の大器のままになりつつあるので、奮起を期待したい。

 バッターではドカベンこと香川伸行である。浪商高校では牛島とバッテリーを組んで活躍し、1979年の夏の甲子園で3試合連続本塁打。惜しくも準決勝で敗退したが、ドラフト2位で南海に入団した。1983年にはベストナインまで取ったが、その後体重の増加とともに成績は降下。ダイエットに励む香川の姿はストーブリーグの風物詩となった。
 そのほかでは元巨人の大森剛も挙げたいところだが、ドカベンに比べるとスケールが小さい。

 相撲界では、なんといっても双羽黒にとどめをさす。恵まれた体格を生かした懐の深い相撲を取り、本名の北尾のまま大関まで昇進する。1986年の五月場所は12勝3敗、七月場所は14勝1敗で二場所連続の準優勝となった。一回も優勝していない大関を横綱に推挙するべきか、横綱審議委員会は激論を交わしたという。当時は千代の富士の一人横綱で、もう一人横綱がほしかったという事情もあり、横綱に昇進。双羽黒に四股名を変えた。千代の富士全盛期とはいえ、双羽黒もいずれは優勝するという期待を裏切り、1987年の年末に親方と親方夫人に暴行をふるって部屋を脱走。そのまま廃業となった。


 このように書いてみると、未完の大器とは決してほめ言葉ではない。むしろ未完の大器=期待外れ、と言えないこともない。なんとなくまとまりのないページになってしまったが、思いつきで書いたページなので、各選手のファンの方はお許しいただきたい。



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