このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
3. カラオケ恐怖症(その2)
僕が大学生になった年(1989年)、平塚市の繁華街に、ある悪魔の娯楽が誕生した。カラオケボックスである。カラオケボックスが日本で最初に出来た年は知らないが、平塚に出来たのはこの年である。高校生のときは存在すら知らなかった。平塚の高校生の娯楽といえば、ボーリングであった。飲むときもどこか友達の家で、「純」や「White」をコーラやスプライトで割り、つまみはポテトチップスというのが定番だった。まだビールの味もよくわからなかった。
それは高校のクラス会であった。大学生もしくは充電中のみんなが久しぶりに顔を会わせて飲みに行くという企画である。居酒屋で飲んだ後、二次会で移動となった。事情を知らない僕は流れに従った。幹事が連れてきた場所にはカラオケボックスという文字が光っていた。わけもわからず中に入る。その場にいた人間のほとんどが、カラオケボックスは初めてだった。「へぇ、こんなところがあるんだ。」と女の子も言っていたのを思い出す。今やはるか遠い昔のような感じがする。
好きな奴がどんどん歌い始めた。人前では二度と歌わないという決心を固めていた僕は、とりあえずサワーを飲んで、手拍子に参加したり、話をしていたりしていた。そのころは歌番組も見ていたので、みんなの歌も知っていた。ちなみにこのころはやっていたのは、WinkとComplexだったように記憶している。
そんな時、M君がやってきた。
「なあ、虎羽、せっかく来たんだからおまえも歌えよ。」
冗談じゃない。僕は真剣に断った。別に僕が希望して来たわけではなく、幹事の指示にしたがってついてきたらカラオケだったというだけである。そもそもM君はあの音楽のテストのときに一緒にいたではないか。あんな思いは二度としたくない。僕はそう訴えた。
ところが、周囲が二人の会話に気づいてしまった。「そういえば、虎羽まだ歌ってないよな?」「わたしも虎羽の歌を聞いてみたい。」などと酔っ払ったみんなが騒ぎ出してしまった。それでも固辞し続けていたが、一度火の付いた群集心理は止められない。周囲の脅迫を受けて、しぶしぶ承諾した。ただし、M君が一緒に歌うという条件は何とか取り付けた。次は選曲である。M君のお勧めはチェッカーズとサザンだった。どちらがよいか訊かれ、サザンならCDを持っていると回答した。とにかく素人でも歌える歌を選んで欲しいと懇願する。彼は「Miss Brand-New Day」を選曲した。とりあえず持っているCDに入っている歌である。歌詞も覚えている。テンポが速いほうが歌いやすいというレクチャーを受けた。M君が歌いやすいというのならきっとそうなのだろう。僕は無邪気にもそう信じた。
二人の番がやってきた。ところが、ここでM君の裏切りにあう。彼は座ったまま動こうとしない。「虎羽、がんばれ!」などと声援を飛ばしている。やられた、と思ったがしょうがない。前奏は既に始まっている。知っている人ならご存知と思うが、この歌は前奏が長い。その間、緊張はどんどん高まり、心拍数が上昇していく。音楽のテストが脳裏をよぎる。
歌い出しの瞬間、僕は絶句した。音程が全然分からない。伴奏だけが流れていく。絶句している僕を見て不憫に思ったのか、クラスのみんなが一緒に歌ってくれた。勇気付けられて試しに声を出してみたが、音程どころかリズムすら取れない。結局僕はほとんど声すら出さず、みんなの合唱で1曲が終了した。やはり断っておくべきだった。部屋の中の空気も一気に白けてしまった。自責と後悔の念に駆られる。こそこそと席に戻る僕の目には涙が光っていた。一緒に飲んでいた子も、僕に対して掛ける言葉が見つからない、という感じで目を合わそうとしない。
その日から、僕は歌番組も見なくなった。
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