このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

13. 「花の82年組」に関する考察  


 
先日職場のメンバーで飲んでいるときに表題の「花の82年組」という言葉を紹介したところ、その場にいた誰もが怪訝そうな顔をして、「何それ?」というリアクションを取った。当社社員の歴史認識が甘いことを痛感した僕としては、ここで皆様にご紹介して知識の整理に役立ててもらいたいという次第である。なお、僕の歴史認識に間違いがある可能性も高いのでご指摘いただければ幸いである。
 「花の82年組」、それはアイドルの歴史を俯瞰する上で見落とすことの出来ない、燦然と輝く82年デビュー組に特別な敬意を払ったフレーズである。それでは82年に誰がデビューしたのか。以下の年表をご覧頂きたい。なお、年度はレコード大賞の対象年(前年10月21日から当年10月20日まで)とする。

76年ピンクレディー「ペッパー警部」、 太川陽介 「陽だまりの中で」でデビュー
77年榊原郁恵「私の先生」、高田みづえ「硝子坂」でデビュー
78年石野真子「狼なんかこわくない」、大場久美子「あこがれ」、渋谷哲平「DEEP」でデビュー
キャンディーズ「微笑み返し」「つばさ」で引退
79年桑江知子「私のハートはストップモーション」でデビュー
80年 田原俊彦「哀愁でいと」 、松田聖子「裸足の季節」、河合奈保子「大きな森の小さなお家」、柏原よしえ「No.1」でデビュー
山口百恵「さよならの向こう側」「一恵」で引退
81年近藤真彦「スニーカーブルース」、伊藤つかさ「少女人形」、 沖田浩之「E気持ち」 、竹本孝之「てれてZINZIN」でデビュー
ピンクレディー「OH!」で引退
82年シブがき隊「NAI NAI 16」、中森明菜「スローモーション」、小泉今日子「私の16才」、 松本伊代「センチメンタルジャーニー」 、堀ちえみ「潮風の少女」、早見優「急いで!初恋」、石川秀美「妖精時代」でデビュー
83年The Good−Bye「気まぐれONE WAY BOY」、岩井小百合「ドリーム!ドリーム!ドリーム!」でデビュー
84年菊池桃子「青春のいじわる」、岡田由希子「ファーストデート」でデビュー
85年斎藤由貴「卒業」、中山美穂「C」、南野陽子「恥ずかしすぎて」、おニャン娘クラブ「セーラー服を脱がさないで」でデビュー

 ご覧のように、82年デビュー組は活躍したアイドルの数が圧倒的に多い。この年表には出てこないが、薬師丸ひろ子の歌手デビューも82年だ。薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子で角川三人娘を形成したが、彼女らは女優が本職であり、アイドルとは呼びがたい。
 さて、82年のレコード大賞最優秀新人賞はシブがき隊である。3年連続でジャニーズが獲得したことになる。栄えある受賞曲は「100%・・・Soかもね!」だ。ヤックンが涙で歌えなかったのは鮮明に記憶している。ヤックンと石川秀美は同期結婚ということが年表から読み取れる。モックンとフックンも結婚したのに少年隊が一人も結婚していないのはなぜだろうか。
 中森明菜と小泉今日子の2人はこの年の新人賞5人に含まれていない。史上最高の激戦だったと言われる所以である。中森明菜の場合、デビュー曲の「スローモーション」はそれほど売れず、「少女A」でブレイクしたものの、やや遅かったのかもしれない。小泉今日子の場合は「私の16才」、「素敵なラブリーボーイ」はそこそこヒットしたが、真のヒットと呼べるのは後年の「真っ赤な女の子」「艶姿ナミダ娘」を待たねばならない。「約束」を歌っていた頃の、まだ引き締まっていた 渡辺徹 とチョコレートのCMに出ていたのが82年頃のはずである。
 松本伊代の「センチメンタルジャーニー」の「伊代はまだ16だから」という歌詞が、NHKでは「わたしまだ16だから」に変えられていたのも有名な話である。堀ちえみはドラマ史に残る名作「スチュワーデス物語」においてドジでのろまなカメという役柄で主役を演じ、早見優はバイリンガルとして活躍中だ。

 今にして思えば、当時はTVの歌番組の絶頂期でもあった。「トップテン」が有り、「ベストテン」が有り、「夜のヒットスタジオ」が有った。そしてアイドルが番組の中心だった。待ち遠しいような歌番組はもう出ないのだろうか。


  
   

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