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22. 土曜夜8時戦争
1969年10月。ある怪物番組が産声を上げた。言わずと知れた「8時だヨ!全員集合」だ。全員集合を放送していたのはTBSだが、そのときフジテレビでは「コント55号の世界は笑う」という番組が30%前後の高視聴率を誇っていた。全員集合のプロデューサー居作昌果に科せられた使命は、コント55号の牙城を切り崩すということであった。居作プロデューサーは当時TBSで人気のあった「サインはV」や「キイハンター」の出演者達を全員集合に出演させるという作戦を取った。この作戦は功を奏し、全員集合は視聴率を取っていく。
いったん軌道に乗った全員集合は、どんどん人気番組に成長していった。加藤茶が「ちょっとだけよ」や「1,2,3,4,やったぜカトチャン」などのギャグを次々と生み出していった。途中加藤茶の交通事故、荒井注から志村けんへの交代などの事件が起きたが、いかりや長介がうまく番組を引っ張っていった。一時フジテレビで萩本欽一が気仙沼ちゃんなどを起用して盛り返した時期もあったものの、全員集合は志村けんが東村山音頭を流行させて人気を取り戻した。TBSの天下は永久に続くかと思われた。
そのとき日テレは何をしていたのか。シーズン中はナイターを放映していた。シーズンオフはしょせん全員集合の裏番組と言うことでそれほど力を入れていなかったのだろう。日テレが精力を注ぎ込んだのは金曜日だった。当時は週休2日制が定着し始めた時期であり、リラックスした父親を交えて家族揃ってテレビを見るのは金曜日に移行していった。日テレは金曜7時30分から「カックラキン大放送」、8時から「太陽にほえろ!」、9時からドラマ、10時から「うわさのチャンネル」というラインナップを揃えた。この戦略も見事に成功したが、居酒屋の発達とビデオの普及により金曜・土曜の夜にテレビの前に座る人が少なくなってしまい、それほど長くは続かなかった。
磐石に見えたTBSに殴りこみをかけたのはやはりフジテレビだった。81年から「オレたちひょうきん族」が始まったのである。このときひょうきん族の横澤彪プロデューサーが取った戦略は伝説となっている。その第一は時間差攻撃だ。
<全員集合>
生コント
学校もの
探検ものゲストの歌 少年少女合唱隊
東村山音頭
早口言葉
カラスの勝手でしょゲストの歌 ショートコント
ヒゲダンス
最初はグー
<ひょうきん族>
ひょうきんベストテン ショートコント タケちゃんマン 懺悔
全員集合の最初の生コントは勝負を避け、メインのタケちゃんマンを番組後半に持ってくると言う作戦を取った。この作戦には僕も乗せられてしまった時期がある。その証拠に、小学校6年のときに当時所属していた少年野球の納会で僕は「タケちゃんマンの歌」をみんなの前で歌っている。経緯は覚えていないが、きっと罰ゲームだったに違いない。ちなみに第一回のブラックデビルは高田純次であり、明石家さんまは第二回の代役だったのだが、あまりにも面白かったのでそのままさんまがやることになったらしい。
横澤プロデューサーの第2の戦略はグループの解体である。ひょうきん族の中では、コンビを替えてコントをさせたり、ソロで使ったりした。副産物としてうなずきトリオが結成されたのも懐かしい。結果としてビートたけし、島田紳介、島崎俊郎らはソロで活躍することになる。
これらの戦略は大成功し、82年にはひょうきん族の視聴率が全員集合を逆転した。一方で全員集合のマンネリ化は進んでおり、85年9月の第803回をもって幕を閉じることとなる。
82年にドリフターズを超えたビートたけしの次の標的は萩本欽一だった。当時萩本欽一は「欽ドン」・「欽どこ」・「欽曜日」を抱えており、人気の絶頂であった。ビートたけしは「スポーツ大将」・「元気が出るテレビ」・「風雲たけし城」を繰り出し、ついに萩本欽一も超えた。ところが頂点に君臨するやいなや、フライデー襲撃事件で一年間テレビ活動を自粛することとなってしまった。明石家さんまだけではひょうきん族を支えきれず、87年には「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」に再度抜かれてしまう。それからひょうきん族が終わるのに時間は掛からなかった。
フジテレビはバラエティ路線を守りつづけている。ひょうきん族の後はとんねるずの「みなさんのおかげです」だ。仮面ノリダーが流行った。ウッチャンナンチャンの「やるならやらねば」ではマモー・ミモーが流行った。今はナインティナインの「めちゃx2いけてる」だ。一方、「カトケン」が終わった後のTBSがどのような番組を放送したかは記憶にない。ちなみに今放送されている番組も不明だ。
現在、テレビ局同士で「戦争」と呼ばれるほどの視聴率競争は繰り広げられていない。お昼のみのもんたVSタモリぐらいであろうか。ウッチャンナンチャンとダウンタウンが同じ時間に別のチャンネルでバラエティを放送すると言うのは考えにくい。安易に競争を避ける思想がテレビ局にも蔓延しているのだろうか。お互いに競争してもっと面白い番組を見せて欲しいと思っているのは僕だけではないはずだ。
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