このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

23. 4枚組以上のアルバム  


 先日(2001年2月)朝食を取りながら「ズームイン!朝」を見ていたところ、4枚組以上のアルバムトップテンを紹介していた。「ベストテン」ではなく「トップテン」というところに日テレのこだわりを感じる。売上枚数を発表してくれなかったのは残念だ。ちなみに今週の売上なのか、今月なのか、発売済全アルバムなのかも不明である。それはともかく、吉田拓郎や小室哲哉などを抑えて、ベスト3に入ったのは以下のようなアルバムだった。

3位 
松田聖子 「?」 (タイトルは忘れてしまいました。)
2位 
ちあきなおみ 「ねぇあんた」
1位 
岡田有希子 「メモリアルBOX」

 松田聖子は貫禄を感じさせるが、正直に言って1位と2位は意外であった。箸を動かすのを忘れて画面を見てしまった。
 僕はちあきなおみの曲と言えば
「喝采」しか知らない。「ねぇあんた」は6枚組らしいのだが、他にどのような曲が収録されているのだろうか。「喝采」はちあきが下積み時代に経験した実話を元にしているという。1972年にレコード大賞を受賞しているが、大賞を争ったのが小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」という幸福の絶頂のような曲だというから面白い。

 岡田有希子が18歳で自殺したのは1986年、僕が高校に入学して間も無い頃であった。後を追って自殺する少年少女が相次ぎ、ユッコシンドロームなどと名付けられた。その頃同じクラスに
「俺は尾崎豊が死んだら後を追う。」と真剣なまなざしで語っていた友達がいた。遠足のバスの中でも「シェリー」などを歌って一人の世界に入ってしまうような男だった。ところが本当にそのときがやってきたら、やはり決心がつかなかったらしい。彼は思想転向の十字架を背負ってしまったため、苦悩の日々を送っている。
 岡田有希子は84年に「ファーストデート」という曲でデビューしており、同年のレコード大賞最優秀新人賞を
「恋 はじめまして」(作詞・作曲 竹内まりや)で獲得している。結果に関しては以下の表を参照願いたい。実に個性的な面々である。


<1984年レコード大賞新人賞>
最優秀新人賞恋 はじめまして岡田有希子
新人賞サマーアイズ菊池桃子
新人賞モニカ吉川晃司
新人賞前略、道の上より一世風靡セピア
新人賞バージンブルーSALLY

 岡田有希子は菊池桃子と比較されることが多かった。松田聖子、82年組とおニャン子との間を支えたのはこの2人である。菊池桃子がラ・ムーを88年に結成したのは岡田有希子という良きライバルを失ってしまった反動である、というのが僕の持論である。岡田有希子の遺作は
「くちびるNetwork」だ。やはりこの歌が一番のヒット曲だろう。ちなみに作詞はSEIKOというペンネームで松田聖子が担当している。
 これも数年前にテレビで見たのだが、岡田有希子ファンクラブが存続しているらしい。命日にお墓の掃除をするなどの活動を行っているようだ。ファンクラブ会員の皆さんはもちろん「メモリアルBOX」を購入したことだろう。未発表曲も含まれているというからファンにとっては嬉しい限りだ。ファンクラブに新規入会希望者が来るのは考えにくいが、今後も活動を続けて欲しいものだ。

 

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