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3−2. スクール☆ウォーズ(その2) 落ちこぼれ軍団の奇跡  

年月日出来事
1943年(昭和18年)
2月15日山口 良治 福井県三方郡美浜町に生まれる。
1955年(昭和30年)
西郷中で野球部に入部。藤井 淳一先生の言葉が胸にしみる。
「愛とは、相手を信じて、待って、許してやることだ。」
1958年(昭和33年)
4月県立若狭高校に入学。野球部が無かったため、ラグビー部に入部。
1971年(昭和46年)
9月28日秩父宮ラグビー場 対イングランド戦で伝説の40メートルキック。試合は6対3で敗戦。
1973年(昭和48年)
引退。
1974年(昭和49年)
3月18日山口良治 京都市立伏見高校の体育教師赴任の内示が出る。伏見高校の偏差値は当時25。授業中に生徒が麻雀をやるような高校だった。
校門に立って服装指導。
1975年(昭和50年)
3月小畑 道弘 進級試験に落第。
「4月から監督をやるぞ。小畑、それでもやめるんか。」
5月10日京都府高校総合体育大会 対洛東高校戦 52対0で完勝。
5月17日対花園高校戦  0対112で完敗。
「お前ら、試合が終わってどんな気持ちや。なんか言うてみい。悔しいのか、嬉しいのか。お前らの率直な気持ちを言わんかい。ここ数ヶ月の結果が112対0や。なんでこんな開きが出るんや。相手は同じ高校生やないか。年も同じ、背丈も同じ、頭かて同じで変わるかい。それがなんでや。悔しくないのか。お前ら、男と違うのんか」
「悔しい!俺は、こんな負け方いやじゃ。死んだほうがましや」小畑号泣。つられて全員号泣。
「お前ら、勝ちたくないのか。」
「勝ちたい。ちきしょう!」
「勝つためにはどないしたらええのや」
「練習です。」
「練習です?よう言うた。花園に勝つためには、せんならんことが山ほどあるぞ。ひとつひとつ自分のものにしていかなあかんのや。」
「はいっ」
「今日と言う日を忘れるな。いいか、敗戦の痛みは一生やが、拳骨の痛みは三日で消える。歯を食いしばれ。」
良治は整列している全部員を殴り倒した。一人一人の頬を打つとき、彼らの痛みが良治の心の底まで響き渡って、涙が吹きこぼれた。
11月22日第55回全国高校ラグビー大会全国大会京都府予選 三校を破って決勝進出。花園高校に3対53で敗れる。
1976年(昭和51年)
2月7日近畿大会予選 伏見工業快進撃
2月28日京都商業を36対0で破って洛北ゾーン優勝。近畿大会出場。決勝で大工大高に3対42で敗れる。
4月「京都一のワル」山本清吾入学
6月5日京都府高校総合大会 18対12で花園高校に勝利。
部員に日記をつけさせる。
11月13日第56回全国高校ラグビー大会京都予選準決勝 同志社高校に15対39で敗れる。小畑引退。
1977年(昭和52年)
4月大八木淳史、「フーロー」奥井浩入学
6月11日京都不高校総体決勝 8対32で花園高校に敗れる。
8月奥井 脳腫瘍で逝去
11月27日第57回全国高校ラグビー大会予選 決勝戦 18対30で花園高校に敗れる。
1978年(昭和53年)
4月平尾誠二、高崎利明ら入学。
6月3日京都府高校総体 準決勝で同志社高に敗れ、3位に終わる。
11月19日第58回全国高校ラグビー大会予選 決勝戦 6対12で花園高校に敗れる。
1979年(昭和54年)
1月イギリス人 スティーブ・ジョンソンの訪問を受ける。伏見工業のコーチ就任。
6月9日京都府高校総体 花園高校に60対4で快勝。
11月25日第59回全国高校ラグビー大会予選 決勝戦 55対0で花園高校に勝利。晴れの京都代表となる。
1980年(昭和55年)
1月3日第59回全国高校ラグビー大会 全国大会三回戦で國學院久我山高校に4対26で完敗。
10月17日栃木国体 大工大高と10対10で引き分け、両校優勝
11月第60回全国高校ラグビー大会予選 決勝戦 44対4で花園高校に勝利。2年連続して京都代表となる。
12月30日全国大会2回戦 62対0で長崎南に勝利。
1981年(昭和56年)
1月1日全国大会3回戦 51対0で西陵南に勝利。
1月3日全国大会準々決勝 16対10で秋田工に勝利。
1月5日全国大会準決勝 28対10で黒沢尻工に勝利。
1月7日第60回全国ラグビー選手権大会決勝戦
伏見工7 − 大阪工大高3
「この6年間で、こんな嬉しいことはありません。素晴らしいゲームをやってくれて・・・信は力なり・・・そう思っても不安が押し寄せてきて。それを吹き飛ばしてくれました。」
良治はまず出されたマイクにそう言った。そして、湧きあがってくる衝動に耐えかねるように、
「勝ったぞう!」
と、天に両拳を突き上げた。


スクール・ウォーズ 
落ちこぼれ軍団の奇跡
馬場 信浩 著
光文社文庫


 
     

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