このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

5. アメリカ横断ウルトラクイズ (その1)  

「全員集合」や「スクール☆ウォーズ」と同じくらい僕が夢中になった番組、それがウルトラクイズである。番組は僕が小学校1年生の時に始まり、大学4年生のときまで16回続いた。会社に入ってからも参加しようと思っていただけに残念である。

  小学校のときは見逃しており、はまり始めたのは中学校に入ってからである。中学校2年・3年のときはクラス男子ほぼ全員が夢中になっていた。ウルトラクイズではテレビ放映が終わった後にクイズが本になって発売される。我々はその本を買い、クラス男子でクイズ大会を開催した。女子にも参加を呼びかけたことは有ったが、反応はクールだった。男子は何を馬鹿なことをやっているのかしら、という冷たい視線を感じつつも我々はクイズに没頭した。
  授業と授業の間の休憩時間、我々は誇りと名誉を賭けて真剣に戦った。敗れ去った者はクイズに参加できず、ただ眺めているのみという冷たい仕打ちを受けた。勝ち残った者だけが興奮を味わうことが出来るのだ。優勝者はウルトラクイズ本を貰えるという特典が有ったが、その代わりに次の大会の司会者となり、クイズの方法を考えてこなければならないという使命も与えられていた。さすがに泥んこクイズなどの設備を要するものは出来なかったが、そのかわり間違うとラリアットをくらうラりアットクイズを開発した。その前の後楽園(当時はドームではなかった)を模した○×クイズで既に敗者となった者がラリアット係を務めたのはいうまでもない。そのような環境の下、僕のウルトラクイズ熱は高まり、大学生になったら絶対に参加すると心に決めた。

  僕が高校のとき、高校生クイズが誕生した。関東地区予選は西部球場で行われるという。もちろん参加したいと思ったが、夏休みに行われるということで部活動と重なってしまい、泣く泣く参加を見送った。そのかわり、テレビ観戦は続けた。このころにはテレビを見ながら、出場者と真剣勝負をするようになっていた。

  ついに大学生になり、参加資格を得ることが出来た。入学してすぐに考えたのがクイズ研究会への入会である。テニスサークルは自分のキャラクターに合わないと思っていたので目もくれず、僕はまずクイズ研究会を探した。すると、うまい具合に勧誘されたので、とりあえず座って話を聴いてみた。女子大生が説明してくれた。
「えっと、私達のサークルは、クイズばっかりやっているわけじゃなくて、夏の合宿ではテニスとかもします。」
しまった、テニスは僕の体質に合わない。
「あと、秋の学園祭では毎年ゲイバーをやります。」
といって、楽しそうにアルバムを見せてくれる女子大生。その写真にはアイドルのようなコスチュームを無理やり着せられながらも白い歯を見せる男子大学一年生の姿が有った。クイズ研究会に入ったのに、何が悲しくてゲイバーでアイドルのような格好をしなければならないのか。クイズの話は一切無いまま、勧誘は終わった。僕は入会を諦め、バレーボールサークルに入った。
  非常に悔やまれることに、大学1年のときは夏に予選が行われるのを失念しており、気づいたときには締め切りが過ぎていた。悔しさをかみ締め、秋のテレビ放映を見た。来年こそは出る。僕はそう固く誓った。
  大学2年の夏は締切に間に合った。申込書も無事に送付した。第一次予選の○×クイズでドームに入る際にパスポートが無ければ入場を拒否されるので、海外旅行に行く当てもまるで無いのにパスポートを取得した。準備を整え、いよいよ予選当日を迎えた。 (続く)


    
   

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