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tram style  >> 豊橋鉄道 page1

2005.5.15作成
2005.6.21訂補
 路線説明(路線の歴史と概要)
 
 
■豊橋の路面電車は渥美線(鉄道線)、バス路線とともに 豊橋鉄道 という中小私鉄によって一元的に営業されており、市民には「市電」の愛称で親しまれています。 
中には「市営の路面電車」=「市電」であって、豊橋のは市電ではない、と言い張る方もいらっしゃるみたいですが、市電には 「市街地を走る路面電車」 という意味もありますので、胸を張って「市電」と呼ばせていただきます。 (ちなみに国内で公営路面電車が走っているのは5都市のみです。)

現在、路面電車が走っている都市は県庁所在地であったり、観光地であったりすることが殆どで、その両方に当てはまらないのは豊橋と富山県高岡市(万葉線)だけです。
それゆえ、地味でマイナーな存在に甘んじており、豊橋を訪れて初めて路面電車が走っていることを知ったという方が結構いらっしゃるみたいです(^_^;A
 

■■■路線の歴史
■開業から終戦まで
開業は1925年(大正14年)7月14日で、当時の社名を豊橋電気軌道といいました。
豊橋駅前から東進して新停車場通り(現・広小路)を抜け、豊明館前(=神明電停。現路線との交点付近)で北北東に針路を変え、大手通りの札木十字路にいたる0.8kmと、豊明館前・柳生橋間1.1kmの計1.9kmで開業しました。
その後、7月21日に「札木十字路」〜「赤門前」(現 東八町の西寄り?)へ延伸。 道路幅に問題があり営業許可でゴタゴタがあったものの、側溝に蓋をして道を広げる対策を行い12月25日には終点「東田(旧)」まで開業しました。

■戦災復興
第2次大戦後、市の戦災復興計画により市街地の街路を近代化し、同時に市電の複線化・移設・延伸も行われることになりました。
これにより、開業以来20年走り続けてきた市街地区間の殆どが新しく造られた大通りに移設され、現在とほぼ変わらない路線の姿がこの頃に形成されます。

  1949年(昭和24年)12月25日 市役所前〜赤門前間複線化
  1950年4月7日 東田坂上〜東田間を新しい通り(多米街道)に移設
  1950年9月17日 東田(新)〜競輪場前間延伸
  1950年10月20日 駅前〜神明間を広小路から駅前大通りに移設・複線化
  1951年7月30日 赤門前〜前畑間複線化
  1951年10月30日 神明〜市役所前間を大手通りから新大手通りに移設・複線化
  1952年3月19日 前畑〜東田坂上間複線化
  1952年10月5日 駅前〜市民病院前間単線開業
  1952年12月25日 同複線化

駅前〜市民病院間のほか、市民病院〜札木間も同時に特許(線路を敷設し営業する許可)を受け、その後、市民病院〜船町(実際は国道23号線絹田交差点付近と思われる)〜西八町交差点(国道1号)の環状路線に計画が変更されましたが、残念ながら開通することなく1963年に特許失効となっています。

■高度成長期
1960年6月、競輪場前〜赤岩口間が開業。
同時に旧路線沿線にあった車庫が現在の赤岩口車庫へ移動し、豊橋市電史上で最長の路線距離となります。 また、乗客数においても1961〜67年度までは年間900万人を超え、市電の黄金期を迎えたのがこの頃でした。

1969年5月、豊橋駅や駅周辺を整備するため、駅前〜市民病院間の営業が休止され、再開することなく廃止となりました。
この時、駅正面にあった駅前電停は豊橋駅から少し離れた場所(旧駅前電停)へと移転させられます。
当時は路面電車に対し「世論」の逆風が吹いていた時期で、うやむやのうちに廃止されてしまったのではないでしょうか。

1976年3月6日、路面電車としては中途半端な営業区間であった柳生橋支線が廃止となりました。
存在意義が薄く廃止はやむをえない状況でしたが、もう少し廃止が先延ばしされていれば前田南・つつじが丘地区の区画整理と絡めて路線延伸という選択肢もあったんじゃないかと、現在のつつじが丘の発展ぶりを見て考えてしまいます。

■80〜90年台前半
1960年代以降、自動車の価格が低廉化し一般家庭に普及したこと、郊外拡散型の都市開発が行われたこと、それら諸々の相乗効果により米国型のモータリゼーションが進行してゆきます。 また、大都市では地下鉄の建設が続いたことで、大都市、中小都市を問わず路面電車の廃止が相次ぎました。

そんな環境の中、1982年7月31日、世間をあっと驚かす出来事がありました。 行政(豊橋市)のバックアップにより井原〜運動公園前間を新規に開通させたのです。 既に過去の遺物となってしまった路面電車が、路線延長することは二度とないだろうと言われていた最中(さなか)の出来事であり、延長したのはたったの1区間600mですが世間に与えたインパクトは相当なものでした。

1990年には駅前大通りの景観整備に合わせ、駅前〜新川間のセンターポール化が完成します。
路面電車は電気で動くため、電気を供給するための「架線」を線路上に張る必要があります。 それまではスパンワイヤー(架線を吊り下げるために道路の左右から延びるワイヤー)と呼ばれるもので架線を固定していたのですが、道路上をくもの巣のように覆ってしまうため、都市景観上あまり好ましくはありませんでした。
センターポール方式は道路中央部に立てた電柱(ポール)で架線を支えるため、たくさんのワイヤーが道路上を覆うことがないという利点があります。

このセンターポール化は95年に国道1号区間(西八町交差点〜東八町交差点)、96年には国道259号線区間(新川交差点〜西八町交差点)でも実施されており、ポール自体の装飾性や、ポールに取り付けられたライトがほのかに照らす街並みは非常に雰囲気あるものとなっています。

■新しい時代へ
1998年2月19日、豊橋駅総合開発事業に伴って豊橋駅正面まで150m延伸し、駅前電停がバス乗降場と共に駅前広場の中に組み込まれました。 かつて撤去させられた部分が復活しただけの、しかもたった150mの延伸でしかないのですが、日本の路面電車にとり時代の転換点を印象づける輝かしい路線延長となりました。

なぜこれだけ注目を浴びたのかというと、98年に建設省(現・国土交通省)の 「路面電車走行空間改築事業」 による補助適用第1号の事業であり、今まで路面電車に対して後向きの態度であった建設行政が方針転換したことを世に知らしめる出来事であったからです。

地道ですが着実に1歩ずつ路線環境を整え、市民の大切な足として成長してきた豊橋の市電ですが、今年2005年は久々に大きな動きのある年になりそうです。
3月31日、豊橋駅正面への延長によって電停間の距離が離れ過ぎていた駅前〜新川間に「駅前大通」電停が開業し、交通バリアフリー法に沿った広幅の高規格ホームが建設されました。 また開業に合わせて、中心街の加盟店で買い物額に応じて帰宅用切符が貰える「市電おかえりキップ」という制度が導入されました。

奇しくも同じ日、残念ながら岐阜市の路面電車が全廃され、この2つの出来事は対照的なニュースとして報道されました。 そして、岐阜で走っていた車両のうち新しい8両は豊橋で第2の奉公をすることとなり、レトロ感タップリの車両がコトコト走る豊橋市電は、ハイテク車両が走り回る近代路線へ変貌しようとしています。
 

■■■ 路線概要(制作中・後日更新します)

■現在の路線長はたった5.4km、14電停しかなく、岡山市で営業している岡山電気軌道の4.7kmに次いで全国で2番目に短い路線です。
「駅前」〜「東八町」まではセンターポール化され、広々とした大通りの中央を堂々と走ります。国道1号線上を走る路面電車は全国でもここだけです。

「市役所前」の近くには1931年(昭和6年)に完成した 豊橋市公会堂 があります。静岡や浜松の公会堂を手がけた中村與資平の設計で、両サイドの半球ドームと4羽の鷲、半円アーチ付きの列柱や窓、玄関ホール天井の交差ヴォールトなどを備えた美しいロマネスク様式の建造物です。

また、少し奥へ歩くと1913年(大正2年)建築の 豊橋ハリストス正教会聖堂(正使徒福音者馬太(マトフェイ)聖堂) があります。規模はそれ程大きくないものの、明治末期に確立した木造ハリストス教会様式の特徴を持つ代表的な教会です。
軍隊関連の遺構では、市役所側にある豊橋公園入口に歩兵第18連隊の正門・哨舎跡が残り、市役所立体駐車場横には西門が移設されています。

「東八町」から先は多米街道を走ります。急に道路幅が狭くなりますが「前畑」〜「東田坂上」間は軌道の石畳が残りとても風情のある坂道で、沿線随一の撮影ポイントとなっております。

坂を上りきると更に道路が狭くなり「東田」「競輪場前」とホームのない電停が続きます。
「競輪場前」には市内線の営業所と2両分の留置線があり、朝夕のラッシュ時にはこの電停で折り返す系統が存在します。 ここから道路を少し南へ入ると、戦後の一時期栄えた東田園という遊郭の跡が残っています。 派手な建物ではありませんが赤線時代の趣を感じ取ることができます。 ちなみに東田遊郭とは存在した時期や場所が異なっています。

「競輪場前」から先は単線となり、「井原」では「赤岩口」行きと「運動公園前」行きが枝分かれしています。 「運動公園前」へと向かうカーブは半径11メートルで路面電車としては日本一の急カーブです。

「運動公園前」までは1982年に市の肩入れによってできた新線で、最近になって岩田運動公園内に市電利用者の為の駐輪場が設置されました。 市と鉄道会社の二人三脚によって市電が支えられていることを示すエピソードです。

「赤岩口」には市電の赤岩口車庫とバス停があります。 バス路線(飯村岩崎線)はこの先の多米団地や国立豊橋医療センターを通りながら豊橋駅前へと向かっており、市電と合わせて豊橋東部を環状に結んでいます。
赤岩口車庫では車両の整備、清掃、改造を行っており、岐阜からやって来た新しい車両たちもここで改造を受けています。
 
 運転系統
■もともとの運転系統は駅前〜競輪場前と、昭和35年(1960)年の延長区間まで走る駅前〜赤岩口の2系統であったが、昭和56年(1982)年に井原〜運動公園前が開通し現在の3系統体制になった。
現在、朝夕を除くデイタイムには赤岩口系統と運動公園前系統が各々15分毎に運行されており、両系統が走る駅前〜井原間は7.5分間隔となっている。
競輪場前系統は沿線の通学需要に対応する為、朝・夕のラッシュ時のみ運行されている。

■始電
赤岩口発 5:25
運動公園前発 6:15
駅前発 赤岩口行5:53 運動公園前行6:08

■終電
赤岩口発 23:02
運動公園前発 23:19
駅前発 赤岩口行23:45 運動公園前行22:51
57911131517182022
■市内線系統図
2005/3/31現在

















































所要時間013
赤岩口系統22
運動公園前系統





競輪場前系統(朝・夕)











 
 運賃と乗車券
■全線均一運賃
■普通片道乗車券 大人150円 小人80円

■普通回数券 8枚綴り 大人1000円 小人500円
          25枚綴り 大人3000円 小人1500円
■買物回数券 19枚綴り 大人2000円(平日乗車時10〜16時および土日祝終日有効)

■通勤定期券 1ヶ月6170円、3ヶ月17590円、6ヶ月35170円
■通学定期券 1ヶ月4410円、3ヶ月12570円、6ヶ月25140円

■1DAYフリー券 大人400円

■市電おかえりキップ
「市電おかえりキップ」ステッカーの表示がある店舗で一定金額(店舗により違う)の買物をすると発行され、1乗車分が無料となる。発行当日のみ有効。  参考: 豊橋まちなか活性化センター
 
 
参考資料:
 
路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋(1999/06/10日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版)
路面電車—未来型都市交通への提言(2001/03/20今尾恵介著 ちくま新書)





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