このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Travel Maker 北海道編

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北海道へは今まで3回行ってますが、1回目は高校の時の修学旅行でした。
もうずいぶんと前のことなので当時の写真もデータとしては残っていないため1回目の北海道についてはご紹介することが出来ません。
思い起こせばあの修学旅行で初めてスキーをしたことが現在のスノボ好きにつながっているんだと思います。
今思えば北海道のニセコで3泊4日のスキー旅行ってかなり贅沢な気がします。


序章


気を取り直して本編のレポに移ります。

北海道と言えばこの写真のような光景が有名

北海道のすごさはやはり言葉で聞く(読む)よりも写真を見た方が伝わると思います。
でも北海道は本当に広い。地図を見ればわかる通り、47都道府県の中で最大の面積を誇ります。
その北海道を隅から隅まで味わうと言うならば1週間ではとても足りません、ですので一般の方は夏休みや年末年始の休暇を利用して訪れることとなると思います。年末年始は積雪が凄まじいので夏休みしかチャンスがないという方も多いかと思います。
高校の修学旅行以外は2回とも車で回りましたが、その行程は大きく違います。


1回目は神奈川の秦野から愛車マーチでオール一般道で強引に周りました。その時の連れはペーパードライバーの為、4500キロもの行程の4499キロは私が一人で運転しました(まるでル・マンの耐久レースのよう)
しかもこの時はゴールデンウィークの5/1から5/5の5日間しか時間がありませんでした。この時間の短さが何を意味しているかご理解いただけるだろうか。要するに120時間で北海道反時計回り一周を含む行きと帰りの行程をほぼ単独で高速道路を使わずに運転することを意味します。あの頃は若かったので何とかなりましたが、今では無理かもしれません。
それにしてもマーチは燃費がいい。満タン状態で600キロ以上も走行できたのは、いかにマーチでも北海道ならではの低燃費走行の賜だと思います。信号の少ない真っ直ぐな道で定速走行が可能なのは北海道くらいだと思います。北海道と東京では満タンにして走れる距離が全然違います、経済的な損得が存在します。


2回目は1回目から4年後。この時は羽田空港まで車で移動し、そこから飛行機で苫小牧空港へ。その後はレンタカーで北海道時計回り一周。燃費重視ですので小型車

今回の旅レポは場所ごとに1回目と2回目をごちゃまぜにしてレポートしていきたいと思います。その為、写真に写る時宗が若いバージョンとそうでないバージョンが混在します(笑)

さて、それでは札幌から時計回りに進んだと仮定してスタートいたします。

千歳空港の近くでレンタカーを借りて出発!

札幌と言えば何を思い浮かべるだろうか。札幌雪祭り・時計台・札幌ラーメン?
ラーメン好きな私としては当然札幌味噌ラーメンを連想する。ここまで来て食べないのは損。
と言うわけで札幌に来て早速濃厚味噌ラーメンをGET

北国の人は寒さに耐えるため脂肪を蓄える必要があり、そのためにラーメンなど濃厚な味付けが好まれるんだとか。

味のほうはというと、私の期待通り美味でした。
しかも大好物のホタテまで入っていたので大満足。満腹です。その後は車も満タンにしてあげて一路東進!夕張を目指します。

札幌〜夕張〜富良野〜旭川


札幌の郊外に出るとすぐに北海道らしい景色に出会えます。途中でローカル線の駅があったので写真をとってみました。
こうゆう駅は味があっていいですね、鉄道好きの人の気持ちがわかります。でも鉄道好きの中にも駅好き・切符好き・スイッチバック好き・時刻表好き・乗りテツ・撮りテツなど、色々なジャンルに細分化されているようです。
最近は車で行けるところは大体行き尽くした感があり、鉄道での旅も少し視野に入れてみようと思い調査中です。

ところで北海道に限らず広大な畑の脇を走っていると下記のような白い物体を見かけることがある。これはいったいよく見かけるが何なのだろうか?
長いこと知らなかったが先日正体を知ることができたので、都会人の方々はご存じ無いと思われるのでここで紹介しておきたい。
  ←この白い物体

これは牧草を管理しやすく固形にまとめたものであり、牛や馬の食料として用いられています。
農家のみなさんの間でも、「有料」ですが刈払いした牧草を捨てずにリサイクルが行われているようです。


道はいよいよ山道へ。小型車の為さすがに馬力はありませんが北海道はゆっくり窓を開けて走りたい場所です。
でも気づくといつの間にかかなりスピードが出ていてビックリすることがある。
このスピード感覚の狂いも北海道ならではです。
おかげで巨大なはずの北海道も意外と普通の感覚で走行することが出来る。

私の住んでいる神奈川県では1時間で車で走れる距離というと一般道だとして日中で30〜50キロ程度ではないだろうか。
北海道の場合ほぼ時速と距離が合っている。時速60キロで走っていると本当に1時間に60キロくらい進む。だから地図を見て計画をある程度たてやすい。


山道を進みいよいよメロンで有名な夕張へ。
いたるところにこのような直売所が見られた。
ちなみにこの直売所ではメロンが衝動的に食べたくなり、

時宗「すいません、メロンを今すぐ食べたいんですけど」
おばちゃん「大丈夫ですよ、どのくらい食べますか?」
時宗「1個丸ごと食べます」

ということで夕張メロンを1個食いです(笑)
800円くらいだったかな。
相場をよく知らないけどたぶん安いんだと思う。
嫁さんと5分くらいで完食した。

本当に夕張は直売所が多いとこの時は快晴でしたが、前回この夕張の地に来た時はあいにくの雨。
寝床を探していたときにちょうどいい直売所を発見した為、この場所を陣取ってテントを張ることにした。

写真中央付近に夕張メロン直売所という看板が見えると思う。その軒先は雨が防げる屋根があるではないか!!

ということで
無許可で深夜にテントを設営。


翌朝に店の人が来たら怒られると思うので朝方4時半にはダンビ(離脱)。ちゃんと屋根のあるところで3時間ほど眠れた。

そういえば最近は夕張市は財政的に厳しい状況が続いているようです、市の負債にかけて夕張夫妻というキャラクターを見たときは面白すぎたが、みなさんも夕張へお越しの際はメロンとか買って夕張を救いましょう!間違ってもメロンも買わずに勝手にテントを設営して翌朝に逃げるように去るのはよくないですよ。



道はいよいよ富良野へ。やっぱり富良野といえば「北の国から」を連想します。時間があるとき「北の国から」のドラマを全部見てみたい。 


やはり富良野は市をあげて観光客誘致に余念が無いようです。結構商売っ気が見え隠れしている。
ただ、言うだけあって富良野には見事な一面の花畑(ラベンダー畑が有名)があり、カメラをお持ちの方なら最高の撮影スポットが出迎えてくれる。
ここに観光に来た方は晴れていれば最高だと思います、雨だとすごいショックかも。
それでは富良野のすばらしい景色をご覧いただきたい。

中央の被写体が無ければすばらしい写真であったろう
↑ここは富田ファームいい天気で最高でした

キタキツネ


かんのファーム

まさに地上の楽園のような景色を堪能できました。


続いて富良野から北上して旭川に向かいます






北海道らしい真っ直ぐな道





旭川〜留萌〜サロベツ原野〜稚内


旭川に近づくにつれ、だんだん交通量も増え、民家や店も多くなってきた。
ここは冬には日本で有数の極寒の地となり、自転車やバイクは走行できなくなる。夏には穏やかな町並みだが冬はあまりの寒さのためこの町も人気(ひとけ)が無いのだろう。
旭川ラーメンを食らい、次の目的地は「旭山動物園」
当時は日本最北の動物園だとか画期的な動物園だとかで何かとメディアに取り上げられておりました。夏休みということもあり、かなり混んでました。
それでは何枚かの写真でご紹介していこうかと思います。

カピバラ  表情がなんとも言えない
オランウータン  かなり高いところで綱渡りやってました。ずっと見上げてると首が疲れます、というか眩しい!
アライグマ?  触ってみたかった
マウス・モルモット・ねずみ(何と呼んだらいいんだろう)  これは自由に触れます
山羊 ヤギ  一般的には牛乳になるわけでもなく肉を食べれるわけでもない。
ポニー  馬を小型にした感じ。子供なら乗れるらしい
なんとかペンギン  飛べない鳥
北極熊  これだけ至近距離で見られるのはここだけ
孔雀 クジャク  キリっとした表情です
ダチョウ  これには驚いた、俺よりでかい!2メートルくらいあった。しかもかなり足が速いらしい。
サイ  う〜ん、地味だな。
麒麟 キリン  草食動物だけどなんか怖い


旭山動物園はけっこう広いので一日中楽しめると思います。我々は半日で切り上げてそのまま北上。


途中留萌を通り、日本海沿いを北上

途中、JR留萌駅に立ち寄りましたが国鉄時代の面影が残っててイイ感じです。
北海道は今から数十年前はいたるところに鉄道が敷かれてましたが、不採算路線も多く、平成
に入るまでには全盛期の半分以下に減ってしまいました。
現在も廃線が危ぶまれている路線も多く、今後のモータリゼーションが加速する中で鉄道を利用
する人はどんどん減っていくことは確実です。
古いものを残そうとする運動もありますが、それを維持するための資金がないのが現状。

正確なところはわかりませんが、地元の人より観光で利用するお客さんのほうが多いのかもしれま
せん。


ここからは夜道を北上します。

夏の蒸し暑さで汗をかいていて風呂に入りたくなったので、道沿いに風呂が無いか探す。すると道の
駅と一緒になった入浴施設を発見。ちなみに安価に泊まれるロッジ風の宿もあったので泊まることに
した。その時の写真がこれである。かなかお洒落な雰囲気ではなかろうか。

この時の旅は事前に宿の予約をせず、その日に辿り着いたところで適当な宿を探すというスタイルで
した。
北海道の場合、このスタイルの旅人は注意しなくてはならない。
というのも、町と町の間隔が結構あるので、泊まる予定の街をその日のお昼くらいには決めておかな

とたどり着けなかったり、その町に宿がなかったり満室だったりして困ることになります。
最悪の場合は車中で寝ることになってしまうので、年の為テントと寝袋を持っていくことをおススメした
い。
さらに言うと、ガソリンスタンドも同様の理由でこまめに給油しておかないと困ることになる。
郊外にはほぼ給油所がなく、夕方5時、6時で閉まってしまうところも多いので宿よりもガソリンのほう
を気を付けないと冬など凍死しかねない大問題になる。


この後はサロベツ原野を通りひたすら北上。日本の果てである宗谷岬を目指します。
サロベツ原野は北海道北部の日本海側に広がる大草原(湿地地帯)ですが、サロベツを味わうのであれば国道40号線よりも県道、いや道道106号線のほうがお勧め。この道は海沿いを走る道だが電柱なども一切無く、原野の中に巨大な風車が連続している絶景ロードなのだ。

サロベツ原野を抜けるとそこは日本最北端の町、稚内となる。
それにしても夏休みの北海道はバイクでツーリングする方がかなり多い。


ノシャップ岬(野寒布岬)

日本最北端に行く前にちょっと寄り道
ちなみにここはノシャップ岬だけど根室にはノサップ岬という岬もあります、あぁ、紛らわしい。

宗谷岬は有名ですがこちらはあまり知られていないのか、人気(ひとけ)があまりありませんでした。
こうゆう最果ての雰囲気がなんとなく好きです(^_^;)

そしてここで昼食を食べる。
せっかく北海道へ来たので贅沢をしてみました。確か2000円くらいした気がする、普段の昼食代の4倍となる!

← ウニとイクラをふんだんに使った北海丼!



腹も満たされ、いよいよ宗谷岬へと向かいます。
このあたりにくるとさすがに車も多くなり、観光地の雰囲気を醸し出してます。

宗谷岬

ついに日本最北端の地へ辿り着いた。天気がよければこの方角に樺太(サハリン)を見ることが出来ます

普段はあまり意識しないがここはまさに国境地帯なのである。山のほうに目を向けるとなんだかやたらレーダーやらアンテナやらが見える。日本人は国境を海でしか接していない為、他の多くの国と違い国防の意識が低い気がします。しかし、それゆえ独自の文化が芽生え発展してきた。戦後は日米安保によりアメリカに守ってもらいながら平和に暮らしてきた。自衛隊もあるがアメリカが何とかしてくれるということであまり意識しなくても生活に特に支障は出ない。平和そのものかもしれないがそれでいいのだろうか。
日本は戦時中には今の国土の何倍もあり、ほとんどが侵略して植民地としていった土地なのだ。樺太も北方領土も韓国も北朝鮮も中国の一部もフィリピンもグアムもインドネシアの方も全部日本だった頃もある。日本で一番高い山は富士山ではなかった時期もあった。
日本の過去の罪を償うように、現在ではアジア諸国にODA(政府開発援助)による資金援助は欠かさないが、それで喜んでいる国とそうでない国があるのも事実。

本来の趣旨から外れるので旅レポに戻ります。



稚内〜紋別〜網走〜知床



宗谷岬には日本最北端の店を謳う店が3店舗くらいある?

ちなみにこの近くに日本最北端のガソリンスタンドを発見したので、当然そこで給油をしてみた。なんか貝殻のアクセサリーをもらった。



さて、ここからはひたすらオホーツク海沿いを南下します、ひたすら高速道路のような速度で走ること数百キロ。

サロマ湖へ到達です

日本で3番目に大きな湖です。ちなみに1番は滋賀県の琵琶湖、2番は茨城県の霞ヶ浦
そしてふと振り返ると右の写真のような看板が。
国道の看板で259キロ先の地名が出るってなかなか無いような気がする。
秦野から259キロだと浜松とか豊田市くらいまで行けるんじゃないか!?


他にも気になる看板がありました。
どう思いますか?これ。
これを見て何の違和感もないと感じた方は北海道民です。

県道ではなく道道。しかも4桁!
まさにダブルインパクトである。
なかなか地元ではお目にかかれない、というか北海道でしか見られない「道道」

ちょっと貴重なもをを写真に撮れた優越感?みたいなものを感じました。



そういえば国道238号線に面白そうなものを発見したので寄ってみた。
この道の駅かみゆうべつ温泉はもともと中湧別駅だった敷地に建設されたもので、今でもその駅の後が残されている。
廃駅?といえばいいのだろうか?
廃駅ですが今でも人の手によって維持され、観光目的で使われている。

言い方は悪いかもしれないが、駅の一番いい形の死に方だと思った。


なかなかノスタルジックな光景である。
旧国鉄時代は北海道には今よりもたくさんの路線が張り巡らされてました。
国鉄の民営化と急激なモータリゼーションによる鉄道の敗退は逃れられない現実でした。
でもマイカーをみんな持つようになってCO2の排出だとか石油の依存度の工場で予期せぬ弊害が発生しているのも事実。
今後数十年で石油は枯渇すると言われているし、早く電気自動車でも普及しないと昔みたいにマイカーは贅沢品と言われる時代が再来するかもしれません。
そうなったらこのホームページも更新できなくなるかもしれません。
車がないと旅のネタが生まれません。それか鉄道旅に完全に切り替わって行くのかもしれません。
確かにここ最近鉄道に少し興味が沸き、いろいろと調べたりしてますが車での旅と鉄道旅は経済的観点から見るとやっぱりマイカーの方が断然安いとしか思えない。
時と場合にもよるが、たとえば私の住む神奈川県秦野市から名古屋まで行くとしよう。するとどうだろう。休日の日中に行くとすると
車の場合は高速代3000円・ガソリン代3000円(リッター10キロとして) 合計6000円です。
それにまず一人で出掛けることは無いので人数分で割り勘すればいい。


電車の場合はどうだろう、路線案内とかで調べればすぐわかると思うが6000円では行けないはずだ。新幹線を使わず鈍行で行くだとか、青春18切符を使えば安いとかいろいろあるかもしれないが鈍行で名古屋まで行ったら何時間かかるんだろう。
車で高速ならば3時間〜3時間半で着く。電車は一人一人に料金がかかるが車は一台での課金。
電車がもっと安くなって身近な存在になればまた昔みたいなテツが多かった時代に戻るかもしれない。でも今はいろんな路線が廃線になったり特急が廃止になったりする路線が増えていて地方に住む人にはやっぱり厳しいかと思う。
鉄道の衰退に反比例して道路の整備はどんどん進み、高速道路もどんどん延長されている。
廃止される鉄道駅はあるけど道の駅は増え続けてます。やはり時代は車に有利となっているようです。
ちなみに鉄道は嫌いではありません、大井川鉄道とか大好きだし、私の一押しのJR飯田線なんかは車でたどり着けない駅があるくらいです。鉄道に関しては最近また見直されていてテツも増えている状況だと思います。うまく共存していきたいものです。

とりあえず腹ごしらえして出発です
そういえばどこかの道の駅で生で食べられるとうもろこしを売ってた。感想は・・・、やっぱり普通の茹でたのが1番うまい!

こうやって旅先で食べるものは何でも美味しく感じてしまうのが不思議です。


お次は網走刑務所です。

昔は悪いことをすると「網走送り」と言われて恐れられていたようです。今の北海道の道路も過酷な環境の中で囚人たちが工事に起用されて出来たものも少なくないと書いてありました。それゆえ常に脱走犯が絶えなかったようです。しかし脱走してもすぐ捕まるか凍死するかだったようです。


↑写真中央に脱走犯が!


また、なぜかこの網走刑務所の各建物の入り口には氷が置いてありました。いったいなぜ?
夏休みだし確かに暑い日が続いたのでこれはいい。頬ずりしてした。


サロマ湖から先は観光地続きです。
この後は本来よる予定に無かった場所。日本一のサンゴ草群生地!

来てみたはいいですが・・・・
誰もいません。夏休みお盆の真っ最中です、駐車場にも他に1台止まっていた程度で人気が無い。なんでしょうここは?


景色もいいし穴場の観光地?

私の愛用するライトマップルにもここは載ってませんでした。能取湖まで来た方はついでに寄ってみてはどうでしょうか。

そういえば先ほど鉄道の話をしましたが下記の写真のような駅は大好きです。いったいいつごろからあるんだろう、この駅は・・・・

目の前の道路と信号が無ければもっといい雰囲気なのに。


さあ次は世界遺産、知床です。
ある意味本当の秘境です、知床半島の先端部は人間が入ってはいけないと言う規制がありますので船で外周を周るか空から観光するほかありません。
しかしこの時はあいにくの曇り空。なんてこった・・・


オシンコシンの滝の駐車場にて、下記のような看板を発見。

なるほど、この猫、カタギではないな。
そんな猫にガン見されながら逃げるように100メートルほど歩くとそこはもうオシンコシンの滝。
海まで直線距離で150メートルくらいしかありませんが、まるで山に来ているような錯覚に陥ります。


これはすごい迫力だ。外人さんもビックリしてた。
なんか滝にもいろいろあるけどこの滝は「美」の滝だと言える。滝は迫力のある雄大なものと繊細で美しいタイプに分かれると思う。
紀伊半島の那智の滝や日光の華厳の滝などは迫力系。
オシンコシンの滝や朝霧高原の白糸の滝は美しいタイプの滝。
大分の原尻の滝は両方を兼ね備えた滝。

さて、滝を過ぎるといよいよ知床峠である。
この時は曇っていて羅臼岳とか国後島が全然見えなかったが晴れていればそれはそれは景色が素晴らしいのだという。
あまりに曇っていて心なしか日が落ちるのも早い。↓こんな感じ


↑しかしだらしない格好だな、俺
最果ての道の駅で休憩後、次のエリアへ。


知床〜野付半島〜根室〜釧路〜襟裳岬


天候的にどうも腑に落ちなかった世界遺産を後にし、野付半島へと向かった。

この半島は地図で見るとすごい形をしている、最も狭いところでは20メートルくらいしかない。両側を海に挟まれた道路。
よく陸地にはさまれた海を「海峡」というが海に挟まれた地を「地峡」という。


地峡の例を挙げると国内では京都の天橋立、福岡の海ノ中道があるが、世界ではやはりパナマが有名だと思われる。
しかし、パナマは太平洋と大西洋の繋ぐ航路として人間の手によって強引に運河が作られ、かの有名な「パナマ運河」はこうして完成した。
太平洋と大西洋を繋いだ運河だが、双方で塩の干潮や海面の高さが違う為渡るにはかなりの時間を要するらしい。

ところで野付半島の奥で変なものを見つけました。
なんだと思います?
実はこれはトイレなんです。なんか左側にドアが偏ってるけど内部構造はどうなってるんだろう?
地図を見てもらえればわかるがここの地形は本当に異常な形をしている。これは砂嘴(さし)と言って何万年も前から海岸の砂が潮流に乗って堆積していった結果。
この砂嘴(さし)という地形は実は世の中にたくさんあります。有名なものをあげると神奈川の江ノ島や清水の三保の松原なんかが有名です。


他にも北海道には駅の待合室が鉄道車両の「廃車両」を利用したものがよく見られる。良い意味でリサイクルです。
野付半島の写真はいいものが無かった為割愛させていただきます。

お次は根室。

最果ての駅、根室駅。 続いて日本最東端の駅、東根室駅。東根室駅は人気が無くて寂しい雰囲気でした。
なんか日本最東端なんだし夏休みなんだからもう少し何かあってもよかったのではと拍子抜けしてしまいました。
ちなみに日本最北端の駅は稚内駅です。2つもあるとはさすが北海道はスケールが大きい。

この後は東の最果て、本土の最果てである

ノサップ岬です。
稚内にあるのはノシャップ岬。あぁ紛らわしい・・・・

ちなみに我々が訪れたこの日、後から知ったことだが根室の漁船がロシア国籍の漁船に拿捕されたという痛ましい事件があった。
海は嵐のため大シケで先のほうがよく見えないがとにかく波がすごい巨大で崖の上に立っていても恐怖を覚える。
そんな中で漁に出ていたというのか、ある意味すごい。
そんな漁船を助けるわけでもなく拿捕してしばらく抑留していたというのだから捕まった海の男たちはさぞかし怖かったことだろう。
この納沙布岬のすぐ先には水晶島という岩礁のような島があり、ここはロシアの領土?らしい。

今「?」と書いたのは、北方領土がどちらの国のものなのかハッキリしていないという理由である。
第二次世界大戦中、日本はサハリンや千島列島の先まで支配しており、日本の先北端は今よりずっと北の果てでした。
しかし、日本の敗戦後、戦後処理の土地返還問題でいくつかの「しこり」の残したのだ。敗戦から60年経つ今でも解決していない問題なのである。地図帳をよく見るとサハリンの真ん中あたりにも赤い国境を現す線が引いてあるけどあれはいったい何?
話は変わるが竹島とか尖閣諸島も問題になっているがあれはどうゆう経緯で問題になったのだろうか?
想像での話だがこれらの問題も日本の敗戦が絡んだ問題なような気がする。なぜならもともと日本の領土だったからだ。
竹島は何か両国の間では根拠があるようですが、今ではすっかり韓国の海軍が陣地を構えて定住している。
その昔韓国併合といって今の大韓民国と北朝鮮は日本の一部となりました。でもその後1945年に日本がアメリカに負けると朝鮮の自治を認めて国土を返した経緯があります。問題はその時に竹島の話は出なかったのかと言うことではないだろうか。

話がものすごいそれてしまった。
昔から地図を見るのが好きだったのでこうゆう地理的な話になると周りが見えなくなってしまう悪い癖である。



やっぱりあった、ありました。こうゆう店は必ずあると思ってました。
先ほど稚内の宗谷岬で日本最北端の店が3店舗あったと書きました。
でもこちらはこの店以外は見つけられなかったわけですが、できればこの食堂で食事はしたくない。悪いけど。
個人的にはこの地に立てて大満足です。前回来たときは時間の都合で来れませんでしたが、今回は準備万端です。

とはいっても宿も何も決めずに走り回り、暗くなったらアポなしで宿の戸をたたくという旅です。なかなかスリリングでした。
その日の寝床がわからないまま旅をするのはドキドキします。今日は布団で眠れるのか?
って心配になりますが、なんだかんだ言って結局ナビで近くの旅館を探して泊まれます。なんとかなるものです(^^ゞ

この二度目の旅ではなんとか全ての日程でどこかしらの宿で眠れました。
ちなみにその前の北海道旅行は全てテント泊。


ちょっとここで驚愕の行程を説明しよう
神奈川県秦野市23時出発


1日目:ほぼ不眠不休のままマーチを運転し続けその翌日の夕方に青森県の大間に到着
北海道に入り、函館を通過し長万部のコンビニでカップラーメンを食べ、室蘭へ。ここで私が力尽き、海の近くの公園に強引にテントを張って就寝。

2日目:3時間くらい眠ってすぐに出発。苫小牧経由で襟裳岬を観光し、釧路の市場で海鮮丼を食べ釧路湿原へ。その後田和平を観光し、屈斜路湖、摩周湖を見て能取湖のPAでテント泊。観光地の「はしご」といった感じ。

3日目:オホーツク海をひたすら北上し、稚内で記念写真を撮影してサロベツ原野を通り留萌へ。ここで内陸へと進路を変更し旭川ラーメンを食べる。夜の富良野を通過して夕張で力尽き、お土産屋さんの軒先に無許可でテントを張り就寝。雨の中テントを張るのが大変でした。

4日目:そのお土産屋さんが出勤してくる前に逃げるように出発。札幌でなぜか札幌ラーメンではなく山岡家ラーメンを食べてそのまま小樽へ。ほどほどに観光した後に夕方の連絡線に間に合うように函館に向けて爆走する。五稜郭を見てたら時間が無くなり急いで船に乗船。そのまま下北半島を南下して、国道4号線ではなくなぜかリアス式海岸の三陸沖を進む。途中田野畑あたりの漁港でまたしてもテントを張って就寝。

5日目:起きたら海の男たちがなにやらワイワイしてたのでそこに行ってみたらホタテとかにありつけた。その後は次の日が仕事という現実に魘されながら帰路につく


どうだろうか?キテレツなことこの上ない旅だなって思いました。今思うと本当によくやった、自分をほめてあげたい。まさに24時間耐久レースだった、マーチのエンジンと私の体を相当酷使したが同行した友人よりも愛車のマーチと分かち合えたような気さえした。


それではここで2回目の北海道車旅行のスペックも見てみよう。

1日目:羽田空港まで新愛車であるヴォクシーで向かい、車を止めて飛行機で千歳空港へ。
その後レンタカーを借りてそのまま予約してあった宿へ向かい、ホテルの近くで夕食を取り、早めの就寝。

2日目:ゆったりとした朝、車に乗り込み一路札幌へと向かう。途中道の駅などで地元の特産品に触れながら北海道の雰囲気味わいつつ、札幌で味の時計台の名物味噌ラーメンをいただく。
その後は夕張方面へ車を走らせ、途中で直売所でメロンを1個食いしたりして楽しい時間を過ごす。いろいろと写真を撮りながら富良野へ着くとナビで宿を探して宿泊。

3日目:朝から好天に恵まれ富良野のシンボルでもあるラベンダー畑へ。この日は「ファーム富田」と「かんのファーム」を訪れ、一面の花畑にしばし感動。午後は当時なにかと話題の旭山動物園で動物に癒されて大満足。
天塩の手前あたりで銭湯に入り、近くにあったログハウス風の宿で一泊。

4日目:朝起きて早速サロベツ原野の壮大な道を走り抜ける。稚内に着くと超豪華な海鮮丼を食べて日本最北端の碑で記念写真。お土産屋でいろいろと買い物をしたあとオホーツク海沿いを南下しつつ道の駅に各駅停車。この日は紋別のホテルで宿泊。夕食はホテル内のちゃんとした食事処で食べた。

5日目:午前中は網走刑務所の観光と女満別市内観光、そのまま斜里を経由して知床半島へ。午後はオシンコシンの滝や知床峠を味わったが曇り空になってしまい残念な結果に。この日は標津町の民宿っぽいところで一泊。

6日目:まずは野付半島を観光。その後根室へと向かい駅を見て納沙布岬へと向かう。この辺りから天気が荒れてくる。釧路・厚岸を観光して太平洋沿いを南下して広尾の宿で宿泊。

7日目:朝一で襟裳岬を観光して千歳・苫小牧・札幌へ。札幌の魚市場を観光した後、念願のジンギスカンを食べた後に初日と同じホテルへ宿泊

8日目:レンタカーを返却して千歳空港から羽田へ。機内では疲労により熟睡してしまいました。
羽田空港からは愛車に乗り換えて高速道路で帰宅。



お分かりいただけただろうか、この差。
若き頃は貧乏旅行で無理やりな行程で自分との戦い的な面も多くありました。しかし年を重ねるごとにこのような「ゆるい」旅になっていってしまう。これはこれでいいのかもしれないが両者とも長所短所はある。



場所を移動して次は田和平に行くことになった


ここは地平線の見える貴重な場所。水平線が見えるところはたくさんあるけど地平線が見えるくらい広い土地はそうそう無い



写真は既に日没後の写真。
屈斜路湖に来ましたが何も見えず・・・・ 一応湖畔の温泉に行ってきました。誰もいなくて不気味なうえ、脱衣所等も相当簡素な造りです。


摩周湖は透明度日本一の湖です。
昼間の写真が無いのでとても残念ですが、摩周湖は切り立った崖になっていて湖面に人が降りることは出来ません。
人が近づかないからゴミも無く、透明度が高いというわけです。
また、摩周湖は霧が多いことで有名。なかなか澄み渡る湖面を見せてくれないことも神秘の湖たる所以かもしれません。


お次は釧路に寄って昼食を食べることにしました。


和商市場
テレビでよく紹介されている釧路の和商市場。ここには様々な食材があり、試食も出来る。
中でもこの場所ならではの特徴として「勝手丼」というものがある。

勝手丼とは、まずご飯だけの丼を用意してもらって丼に乗せたい具材を自分で市場を周って買い集めてくるのだ。この市場の中であればたぶん全部の店で勝手丼のシステムになっているものと思われる。
私の場合はイクラとウニとホタテを山盛りにしてご飯も大盛りにした。最高の具材なのでいくらでも食べれそうだ。
和商市場は釧路駅から歩いてすぐなので鉄道旅の方にもおすすめです


グルメネタが続きますが次は厚岸というマイナーな観光地。厚岸は「あっけし」と読みます。

道の駅でおいしいものが食べられると言うことで寄ってみたが牡蠣が有名な様子。残念ながら私は牡蠣が苦手なので食べなかった。


観光地であるキリタップのすぐそばに慰霊碑があった。確かに眼下には悪天候のためか海が荒れ狂っていた。落ちたらひとたまりも無いだろう。



それにしても襟裳岬までの道のりは遠い、とにかく遠い。
かなりのペースで走っているのにもかかわらずなかなか進まない。
広尾についた頃はもう9時を回っており、宿を探すのが大変だったことを覚えている。
田舎のほうの宿は9時を過ぎるともう暗くなっていて閉められていることが多いからだ。
都市部のビジネスホテルであれば24時間フロントは開いているが、広尾のような町ではビジネスホテルなど無く、民宿や旅館くらいしかない。
この日も数件電話をかけてやっと見つけた素泊まりの宿であった。


あくる朝、広尾から襟裳岬までは意外と近かった。ほどよく目が覚めるくらいの距離を走るとそこは襟裳岬。

風極の地、襟裳岬。
ここに来るのは2回目ですが、2002年と2006年の私を比べると少し太ったのがよく分かる。


この「風極の地」というのは納得。この場所は320度見渡す限りの海で遮蔽物が何も無い為、常に強風が吹き荒れているのだ。
ただ、景色は素晴らしく、海に向かって陸地が尖って突き出ているという感じです。
ここに来るまでの道は何も無く、ただ原野が広がっていて遠くに山がある感じでしたがここにくると一気に周囲は海という風にギャップが楽しめると思います。



えりも〜苫小牧〜千歳〜札幌〜小樽〜函館



襟裳岬過ぎると牧場地帯を通る。競走馬の生産地でもあるようだ。
ハイセイコー
あまり競馬には詳しくないが、好きな人は地方の競馬場にまで見に行く人もいるほどの人気ぶりだったんだとか。


それにしてもこのへんの道の駅に個性的だと思う・・・


さて、ここで北海道時計回りも一周することになる。そう、札幌に戻ってきたのだ。


札幌の市場の一角。
北の漁場という店を見て、「北島三郎」の歌を思い浮かべた。数少ない私の演歌のレパートリーでもある。

札幌ではせっかくなのでジンギスカンを食べようということになった、いろいろと探しているうちにそれっぽい店を発見。ジンギスカンはこのとき始めて食べたかも

お次は小樽です

せっかく来たのに雨でした。田中義剛の看板もあったが、この時はまだ生キャラメルが流行る前でした。


とりあえずこれで北海道編は終了。↓この船で大間まで戻り、ひたすら神奈川まで帰ったのでした。

三陸沿いを南下して一般道で帰りましたが、結局帰れたのは20時間後でした・・・・ ケチらずに高速を使っておけばよかった(‾▽‾)



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