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Travel Maker

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福島県


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福島県は日本で2番目に大きな県であり、高速道路がこの県を東西南北に分割している。
そのためか、広い県であるのにも関わらず主要な観光地へ行くのにそれほど長居した道を辿る必要がないのも嬉しいところ。
ただ、県の南西部に限っては車以外の交通手段はなく、高速道路はもちろん、バイパスなどの整備もないので一日がかりを覚悟しておいたほうがいい。


猪苗代湖周辺



日本で3番目に広い淡水湖。ここはもうすでにかなり観光地化しており、人も店もいっぱいです。
海水浴ならぬ湖水浴?をしている人も何人か見かけました。


北岸の国道49号線沿いには野口英世記念館がある。今回は時間の都合で寄らなかったが地元の名士を紹介する記念館は入ってみるといろいろ勉強になって面白いところが多い。現在は野口英世は1000円札になっているのでみんな見たことがあると思います。
ただ、お札をコピーしたり印刷するのは法律で禁止されてるので気を付けてください。


野口博士の生家が展示されており、入場料を払えば誰でも見学できるようになっている。
昔ながらの茅葺き屋根が特徴的ですが、人の手が入りすぎていてちょっと不自然。
間取りは3LDKであり、延床面積は目測40〜50m2といったところか。
母親と2人暮らしだったことを考えると、昔8畳のアパートに一人暮らししていた私からすると贅沢な広さに思える。
この生家のとなりには記念館があるが、そこの2階にある「ロボット」がすごいリアルだった。音声に合わせて動きますがその動作が本物の人間のようです。


野口英世記念館の横にあるドライブインで腹ごしらえ。


野口英世ロボットと、博士が愛した磐梯山。
このあたりは10月後半から11月初旬にかけて綺麗な紅葉を見ることができますが、12月になるとあたり一面が一気に雪景色に変わります。


飯盛山と鶴ヶ城(会津若松城)

ここは今から150年くらい前に「白虎隊」という16歳〜17歳の志士たちが、新政府軍と戦った後に自害した場所です。
すっかり観光地化してますがここには悲しい悲しいエピソードがあります。


長かった徳川政権も終わり、大政奉還により天皇に政が移管されると、それまで徳川側についていた幕府軍は明治の新政府軍から粛清の対象として目の敵にされるのであった。
この会津地方の民もまた、徳川家に代々忠誠を誓ってきた(ちなみに会津を統治した大名は時代とともにコロコロ変わっている)
そんな中、信じていた徳川家(幕府)が坂本龍馬をはじめとする維新の志士により倒幕される。
大政奉還は龍馬(土佐藩)だけの功績ではなく、薩摩と長州の協力なくして成し得なかった偉業であり、いわゆる革命に近い事象であった。


もともと長州(山口県)は徳川派であり、西郷隆盛率いる薩摩(鹿児島)とも仲が悪かった。
だが、両勢力に目をつけた坂本龍馬が仲介人となって両藩を結びつけることに成功(いわゆる薩長同盟)
やがて大政奉還がなされると残党狩りが始まり、抵抗勢力を粛清にかかる。
勇猛果敢な会津の民は白虎隊はもちろん、女性や子供に至るまで同じ反骨精神で必死に抵抗するもむなしく、居城である鶴ヶ城がついに落とされた。
上の左の写真は鶴ヶ城(会津若松城ともいう)が燃えている光景を見て、絶望した白虎隊が自刃したときの光景を再現した図である。
自らが死にきれない場合のことも考え、向かい合った仲間が同時にお互いを切りつけるという方法をとったというのだからきっと凄惨な光景だったことだろう。
でもこの時、実は鶴ヶ城は燃えているわけではなかった。城下町に残った女性が城を守るために周囲の屋敷に火を放ち、敵の進軍を止めていたのだという。


最近屋根瓦が新しくなった新生「鶴ヶ城」。以前来た時よりもシンプルに見える、CGみたいな城に見えるのは私だけか?


鶴ヶ城は城内がそのまま博物館のようになっており、いろいろな展示物が飾ってある。
中には、左の写真の「銃」のように実際に手にとって展示物を見たりもできる、これは珍しい。
城の中庭では茶会のための準備が行われており、石垣を修復する工事も急ピッチで行われていた。


2013年の大河ドラマはここ、会津が舞台となるらしい。地元もこれには大いに期待しているようで、至るところにイメージキャラクターのノボリがたっていた。


塔のへつり


ここはそれほど有名な観光地というわけではないが奇岩・奇勝地として個人的に気になっていたところでもある上、ちょうど通り道にあったということで寄ってみました。


「へつり」とは、岩場などが凹んでいて人が通れる場所のことを指す名詞でもあるが、道をへつって進むなど、動詞としての言葉も併せ持っている。この吊り橋を渡っていくことになりますが多少揺れるものの渡るのにそれほど恐怖は感じません。
揺れよりもむしろ欄干が低いことが怖いと思います。


人によってはこうゆう場所を歩くのが苦手という方もいると思う。私のように危険な登山道などを日常的に歩いている場合はともかくとして、落ちたらただではすまないタイプの道は怖いと思う人の方が多いと思う。でもこれはまだましな方です。
実は昔は逆側に遊歩道が伸びており、しかも江戸時代から続く街道であり、近代は県道としての道であった難路が存在する。


これがこの道。どう考えても無理やり道を作ったとしか思えず、他に迂回路が無かったのか疑問である。
当然今は閉鎖されているが、私はつい最近この道を無理矢理歩いた人を知っている。
最近廃道界でいろいろなメディアで活躍している平沼さんのサイトです↓
http://yamaiga.com/road/heturi/main2.html


吊り橋を渡って対岸につくと左の写真のような光景が見渡せる。あれはお土産屋さんと駐車場です。
また、対岸部分には神社があるが洞窟内にあるため不気味な雰囲気が漂います。


洞内はかなり広く天井が落ちてくるんじゃないかと心配になってしまうほどでした。
石を積み上げてできた「ミニ塔のへつり」がたくさんありました。塔のへつりはその名のとおり塔のように高い奇岩です。


ちょっと離れてみると上の方がよく見えます。

しかし、この地形はどうやって出来たんでしょう?


私なりの考察を発表します





岩盤が横方向にえぐれているわけなので、地形の隆起及び沈降は上下運動となるので考えにくい。
では河川の侵食による形成の線はどうだろう?これもよく見るとはるか上の方まで横方向にえぐれているので河川の侵食というのも考えずらい。

他に地学的見解で考えると堆積や風化などがあるが、どれも当てはまりそうもない。

大昔この辺が海であったならば波の侵食の線もあったかもしれないがここは日本海と太平洋のど真ん中あたりにある山岳地帯なのでここ数千万年は地上にあったはずだ。
私の推論に拠る当地形の形成過程は、おそらく堆積と隆起と河川侵食の合わせ技ではないかという結論に至った。
写真をよ〜く見ると一枚岩で形成されているわけではなく何層かの地質が見られ、石灰の層が何層も堆積して出来ているのが分かる。
そしてはるか上部までえぐれているところを見ると、少しづつ隆起しているうちに部分部分で河川の侵食を受け続けて形成されたものだと予想できる。
日本列島は新規造山帯であり、フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートなどの様々なプレートが寄り集まっている関係で、地殻変動が激しいエリアなのである(それ故に地震も多いし温泉も多い)


ちなみに「塔のへつり」はすぐ近くに鉄道が通っているので車以外でも来ることができます。
駅は相当に草臥れているので秘境駅っぽいのが好きな人にはたまらないかも(笑)

ちなみにこの路線は会津鉄道といい、東京駅からずっと線路がつながっています。途中鉄道会社が変わるので最低3回乗り換える必要がありますがお得な周遊きっぷが発売されているので、鉄道旅派の人はJRのホームページでお得なきっぷをチェックしてみてください。


2012年10月に再訪した際の写真です、おそらく11月頃に来ると紅葉が綺麗だと思います。


相変わらず土産屋の活気は凄かった。飼い主募集とか書かれた猫まで売っている?


大内宿

ここは知る人ぞ知る観光地で、その昔は街道の宿場町として賑わっていた。
しかし近年、主要県道がここを通らなくなってしまい、宿場町としては致命的な打撃となる。
そして今、宿場町は観光地として姿を変え、連日県内外からの観光客で大きな賑わいを見せている。


何となく、白川郷や馬籠宿の雰囲気と似ている。
ここは国から「重要伝統的建造物群保存地区」として認定されており、1643年頃から「半農半宿」のスタイルを続けてきた。


ここの名物はこれ、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギで食べるというなかなか変わったもの。
昔からこの風習があるようですが、私のような初心者が真似をしたところでうまく食べられない。
この程度の量であれば5分程で完食できそうだが、普段の3倍くらいの時間がかかりました(-。-;
はっきり言って食べづらい。私の周りでも我慢が出来ず橋に持ち替えて普通に食べる人が続出していた。
私はなんとかネギのまま食べましたが、かなりネギが辛いので注意が必要です。



DASH村

詳しい場所は公開できませんが某番組のダッシュ村が近くにあるので行ってみました。正面から堂々と行ってみようかと思ったところ、かなり厳重なもので近づくと怒られそうだったので秘策を考えることにした。他にもここを探し当てて来てる人もいるようです

その秘策とは一旦山の反対側に周り裏山から道なき道を進み到達するという荒業。
これなら民家の敷地内でもないし堂々と到達することができる。ただ、草むらというかヤブをかき分け斜面を登っていくことになるので相当の覚悟が必要となります。

あまりここを紹介しすぎるとマズイ気がするので次です。


あぶくま駅

阿武隈川は福島県を代表する大河であり、川下りでもその名が知られています。今回は川沿いに少し下ってみました。
郡山から北上し、宮城県の丸森町までを川と一緒に走っている国道で下ります。途中某漫画で紹介されたことがある阿武隈駅が近くにあったので立ち寄ってみました。

どうでしょう?この駅舎。さすがローカル線です。やはり無人駅でした。

この駅の前を通っている林道みたいな道があります。が、どこにつながっているか分かりませんでしたが国道に戻るのがめんどくさかった為そのまま直進。
その結果激狭の怪しい道を30分程進む羽目になりました、なんとか丸森にはたどり着きましたが・・・・



あぶくま洞




ここは人がいっぱいで、かなり有名な観光地であることが伺えます。
近くにサファリパークとリカちゃんキャッスルなるものがあるようです。
上の写真の門をくぐって進んでいくと迫力ある崖が見えてきます。

実はこの崖沿いが駐車場となっております。

崖崩れが何とも心配ですが痕跡はあまりなさそうなのでここの地盤は意外に強いのかもしれません。


あぶくま洞へのアクセスはご覧の通り

東北道でも磐越道でも常磐道でも来れるから大変アクセスの良い観光地となっております。
車にも鉄道にもやさしい観光地と言えると思います。
あぶくま洞は鍾乳洞ですが秋吉台と同じくらいの規模なんじゃないかと思うほど内部が入り組んでます。当然内部はごつごつした岩でとても歩きにくいので女性の方はハイヒールやサンダルで来ると大変な目に遭います。

あぶくま洞は発見されてからそんなに時間がたっておらず、比較的最近の観光地だと言うことが分かります。

夏場は中に入るとかなり温度差があるので涼しくてオススメです。
ただ、結構長いので風邪をひかないように注意しなくてはなりません。

朝イチでここに来たのでまずは腹ごしらえをしてから入洞します。朝から結構なボリュームでした・・・・


入る前にマスコットキャラクターがいたので一緒に写真を撮りました
さあいよいよ内部へ。
内部に入るまでに遊歩道のようなところを歩くわけですがここも崖崩れが怖そうな場所がいくつかありました。
でも上の写真のような対策?がしてあるので大丈夫かと・・気休めにはなりそうですが・・・

途中には子供達や我々にもわかりやすい 「なるほどファンタジー」 という看板がいたるところにありまして洞内の解説をしてくれます。


鍾乳洞と言っても色々な形の岩があり飽きがきません。洞内は狭くなっているところもありちょっとした冒険気分も味わえます。下の右の写真は化け物の顔に見えませんか?


なんだか液体みたいな岩に見えます、原理的には「つらら」の生成と似てる気がします

なぜかお金がいっぱい落ちているところがありました。
こうゆうのはどういった意味があるのでしょうか?私も分けが分からず小銭があったら投げてみることはありますが・・・・


左の写真は面白い。鍾乳石を切断してあるのか、断面を見ることができます
※あぶくま洞は夏の暑い日に涼みに行くような感覚で行くといいかもしれません。洞窟内は1年中15度なのでちょうどいいです。長ズボンとスニーカーがオススメです。



福島尾瀬・只見

福島県の左下エリアは地図帳でみると良く分かりますが山間部なのであまり開けた土地はありません。延々と山道が続き、ガソリンスタンドやコンビニも殆ど無いので無計画でこのエリアに近づくことは自殺行為です。
私もこの 「左下エリア」 に関しては未踏区域だった為、7月の3連休に尾瀬観光のついでに新潟県に抜けるルートを踏破することにしました。

東北道の白河インターを降りてひたすら西へ進みます。途中那須高原北部の観光地化した高原を抜けるとそこはもう完全な山道。なかなかこの道を通るという人はいないと思うが、奥只見湖や尾瀬を福島県側から歩きたいという人はここを通るしかない。
全体としてかなりの距離を走行することになるので白河でガソリンを満タンにして出発した。なお、ルートとしては上の地図のような軌跡を辿ることになります。
ルートラボでその行程を作成してみました。上の青くなっている線が今回走るルートで下のグラフは左から白河→尾瀬方向の標高を表している。
これを見る限りではかなりの高低差があり、途中は道が九十九折(つづらおり)になっていたり急坂が多く、いつもよりガソリンを多く消費することが予想できる。
この時は確か平日仕事が終わってそのまま寝ないで出発した気がする。
夜中に尾瀬の福島県側の駐車場に着いてそこで仮眠を取って尾瀬にチャレンジするという計画だ。

あまり本編と関係ないが途中で 「変なもの」 を発見した!

コレが有名な「痛車」である、東北道での発見だがこれはかなり目立つなぁ

事前情報によるとこの尾瀬の駐車場はすぐにいっぱいになるとのこと。だから早めに出てこの駐車場の「イイ場所」を先取りしたのだ。

この時は車中泊で夜を越したが寒かった。さすがに標高が高い為7月といっても10度台になる、あまり油断すると風邪を引いてしまう。
それを踏まえた上でも中央の写真のような格好で最後まで十分だった(夜だけは注意です)
登山道は外人さんやシルバーの方が結構多く、同年代はあまり見かけなかった。また、登山道が狭い為遅い人がいるとすぐに渋滞が発生してしまうのにはまいった。

はるかな尾瀬
独特の高山植物を見ることができます。尾瀬と言えば歌で有名だが私にはどれが「水芭蕉」なのか良く分からなかった・・・・


尾瀬と言えばこの木道で有名。ところどころに銘盤を見ることができ、比較的頻繁に木道は新しいものに替えられているらしい。
また、右の写真のような休憩所はどこも人でいっぱいで休憩せずに尾瀬沼まで向かいました。


まさに地上の楽園のような景観です。
空気もいいし花の香りもイイ。まさに視覚・聴覚・嗅覚・触覚を使って尾瀬を満喫できる。正体不明のマイナスイオンも「ああ、こうゆうところに存在するのかな」という感覚にさせてくれる。心身ともにリフレッシュしたような感じがした。



途中で雨が強くなってきたのでカッパを着用!サイズが小さく動きずらかった。

いつものゴアテックスのモンベルカッパは置いてきてしまったのでこれで我慢。
動くずらく、汗や体温で内側が蒸れてあまり快適なカッパではありませんでした。

やはり値段相応なんだと思います(^^ゞ

今回は尾瀬の湿地帯ではなく尾瀬沼のほうを訪れました。今度は群馬県側から福島県側に徒歩で踏破してみたい。



駐車場に戻ってしばし休憩した後は秘境地帯「奥只見エリア」へ!


まずは挨拶代わりに名物の洗い越しが登場。左の写真が「洗い越し」です。洗い越しとは、湧き水や地下水を橋や暗渠で跨ぐことなく道路上に流してしまう方法です。洗い越しは今では殆ど見られない貴重なモノであり、個人的には特別天然記念物にしたいくらい大事です。
今でも全国の酷道・険道・死道には残るという・・・・
そして2発目のパンチは上の携帯の標識。すっかり携帯電話が当たり前になった現代、外でケータイの電波が無いなんてあまり考えたことが無いかも。
圏外を気にするのは私の場合普段はエレベーターの中と地下だけ。でもこうゆう秘境地帯に来た時やゲレンデの上部なんかは電波が無いこともしばしばある。


そして3発目の衝撃・・・雲と共に白く写るもの。これの撮影日は2009年は7月19日
なんと残雪を発見しました!!それもなんか黒ずんでて妙に不気味である。7月19日なのに雪!
それもそのはず、このあたりは国によって特別豪雪地帯に定められている区域なのだ。何だかラッキーな気分です(^^ゞ

この後は奥只見シルバーラインを通って帰路に着きました。




福島編はここまでとなります。
県の東部は現在は放射能に汚染されてしまっており、今後何十年と死の土地になるかと思います。
これにより、常磐自動車道が仙台までつながることはなくなり、国道6号線(水戸街道)もこの辺は不通区間となります。
この日本でこうゆう場所が出来てしまったことは残念なことであり、このエリアの旅はもう諦めるしかありません。
しかし、福島県が地震や放射能で大変なのは周知の事実であり、私としても福島県の魅力をもっと紹介して沢山人が訪れるようになればと考えております。
直接復興支援をしに行くのもいいかもしれませんが、福島県で物品を買ったりしてお金を落としていくことでも十分支援につながると思います。このページを読んで福島県に行きたくなっていただければ幸いです。


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