兵庫県
| | 兵庫県です、県庁所在地は神戸。神戸と聞くと何となくオシャレなイメージがありますが実際は海浜に工業地帯がひしめいていてなんだか川崎みたいです。
そしてこの県もまた地域格差が激しい。瀬戸内海に面している部分は神戸・明石・高砂・姫路など大きな都市が連続している。
大阪から続く大都市、言わばメガロポリスと言っても語弊は無いような気がする。
その見事な都市化に対して日本海側はいたって何てことない田舎町が続く。しかも日本海側がちょっとリアス式っぽい海岸であるため何か目的がないと海岸沿いを走るのは得策ではない。時間がかかるし燃費がかかるし人間にも車にも優しくない。
内陸部にいたってはこのあたりでは珍しくスキー場を多く有している。でもこんなところまでは滑りに行けない・・・・ |
異人館
神戸市の三宮駅から北へ歩いて15分ほどで「神戸・北野公開異人館」に辿り着く。今回はこのサイトでは珍しいオリエンタルな雰囲気を出していこうかと思う。
かなりの急坂なうえに狭い道ですが、ここにはその昔、今で言う「大使館」のような機能を持った外国人の屋敷が多く存在する。
そのためか、異国情緒があふれる雰囲気になっており、オシャレな喫茶店等が立ち並んでいる。
デンマーク館(旧ヨハン・フラウベルト邸跡)
ここは旧ヨハン・フラウベルト邸跡で、通称デンマーク館と呼ばれている。
意外なことに異人館ではほとんどの場所で写真撮影がOKとなっている、でも当然モノに触れてはいけません。
私が持つデンマークのイメージはやはり陶器。ロイヤルコペンハーゲンを始めとするティーカップ等が有名です。
国の面積は小さいですが、北欧の玄関口として古くから公益で栄えました。
ヴァイキングとムーミンがたくさん展示されてました。
ヴァイキング(海賊)は分かりますがムーミンはスウェーデンの童話じゃなかったかな?
オーストリアの家(旧W.クンツェ邸跡)
国ごとにまた違った調度品や生活様式が見れてなかなか楽しい。
壁面には歴史年表や家柄の説明等がたくさんありますがまともに読んでいたらかなりの時間を要する為、やや駆け足で回ることにした。
そしてオーストリアと言えばモーツァルトの存在を忘れてはいけない。彼は偉大な音楽家でありトルコ行進曲等のピアノの小作品のほか、オーケストラの楽曲まで広く手がけていた。
香りの家 オランダ館(旧ヴォルビン邸)
ここは一番人が多かった記憶がある。自分だけの香水を調合して持って帰れるという別料金のオプションがあり、女性に人気がありそうな感じだった。
オランダ名物の木靴もたくさんあったが、実際に履いてみるとまったく履き心地が悪い。木でできた靴は当時においてもおそらく実際に履いたりはせず、インテリアとして工芸品のような扱いだったのかもしれない。確かに木の内部を刳り貫いて造るのはなかなか根気と技術が必要そう。
かなり高級そうな家具が置いてあり、当時の貴族の贅沢な嗜好が伺える。
ちなみにこのオランダ館が一番商売ッ気があり、いろんなものを販売していた。
他にも「萌黄の館」や「風見鶏の館」など、無数の異人館が乱立しており、昔からの国際貿易港としての神戸のすごさが垣間見える。
せっかくなのでこれまたオシャレな喫茶店で休憩してみました。
カプチーノには泡絵が書いてあり、デザートもめちゃくちゃ美味しかった。美味しいけど料理の提供時間の長さと値段に関しては納得できないものがあった。
明石海峡大橋と淡路島
兵庫県最大の建造物ではないだろうか。明石海峡大橋。
今ウィキペディアで調べてみたら全長3911メートルで世界最長の吊り橋と書いてあった。やはりすごい橋だったんだな。本州から淡路島に渡る為の橋ですが、確かにやたら長く感じたのは確かです。
しかし謎なのがこの写真にも映っている橋台(支柱の下にある台)のことですがあれは浮かんでるわけではないですよね?海底深く鉄芯か何かが埋められていて橋梁を支えてるわけだと思いますが、だとしたらどうやって海底深くにそんな工事ができたのかが気になる。普段何気なく通っている橋も川の中央に水が流れているのに橋台が水面深く刺さっているように見える。でも川の場合は工事の様子をちゃんと見たことがあるので納得済み。土木工事で川の流れを変えてしまい、水がなくなったところで土台を作り柱を立てる。秦野市内の工事を何度か何カ所かで見たのでそれはいい。問題は海。海だから水は引かないはずだし・・・・・
ここからは淡路島の紹介へと入ります。
でもその前に一つ。阪神淡路大震災のことを話しておかなければならない。なぜなら兵庫県は震源地であり、もっとも被害が大きかった県であるからである。死者行方不明者は5000人を超える大惨事で高速道路の橋桁が横倒しになったりビルが倒れたり大火事が発生したりと悪夢のような地震でした。 神戸市須磨区 と聞いて何を思い浮かべるだろうか?やはり阪神淡路大震災がピンと来るだろう。
全国にはその地名が大事件とセットで覚えられるというパターンがいくつかある。
上九一色村=オウム真理教
和歌山=ヒ素カレー事件 林マスミ
石川県七尾市=オタマジャクシが空から降ってきた(2009年)
沖縄県辺野古=米軍
新潟県小千谷市=新潟中越地震
海外でも例外は無く、
ハルビン=伊藤博文暗殺
尖閣諸島=領土問題(中国)
北方領土=領土問題(ロシア)
竹島・独島=領土問題(韓国)
スマトラ島(インドネシア)=インド洋大津波
ニューヨークの世界貿易ビル=9/11 オサマビンラディン
数え上げたらキリがない。上に挙げた例はほとんどがあまりよいイメージの事件ではない。
それより日本は周りの国とみんな領土問題で悩んでいるんですね。日本と隣り合っている国はアメリカを除くと韓国・中国(台湾)・フィリピンあたりではないだろうか。近隣諸国とは仲良くしたいものです。
明石海峡大橋を一望できるここ、「淡路サービスエリア」で我々は仮眠を取ることにした。もう運転し続けて朝方になっていた。右の写真は淡路サーヴィスエリアからの朝焼けですがなんだか夕焼けと混同しそうです。
上の写真は同行者がまだ寝ている姿。夏場はテントを張るよりもこのようなスタイルで寝ても寒くはない、人目が気にならなければこれでもいいのかもしれない。
しかも自分の履いていたサンダルを枕にするというこのアイデア。、アウトドアを極めている感じだ。
まあこの男がいなければ私もこんなふうに旅をしなかったわけだしな〜。ある意味見習うべきところはたくさんある、でもこれは真似できない。私は車の中で運転席のシートを倒して仮眠を取ることにした。
↑この左の写真だけマウスオーバーで観音様がアップになります。
淡路島の下道はとてものどかで、ゆったりとしている。潮風が心地よく道も混雑することはあまりないので快適に運転することができる。淡路島は南北に50キロくらいあるがその距離を全く感じさせない。
あっという間に次なる目的地「道の駅 うずしお」に到着した。
道の駅「うずしお」
うずしおは潮の流れが複雑な海峡で発生する。特にこの鳴門海峡は播磨灘と紀伊水道を分かつ海峡であり、兵庫県淡路島と徳島県鳴門市との間の距離はたった1キロほどしかない。
瀬戸内海と外海の境界にあたる場所にあるので、当然激しい潮の流れが満潮干潮に合わせて発生します。
ちなみにうずしおはいつでも見られるわけではない、事前にネット等でチェックしてから訪問することをお勧めしたい。なぜなら私は何度か来ているのにもかかわらず納得のいく巨大な渦潮をちゃんと見ていない。小規模なうずしおは見ているが何となく腑に落ちないのだ、せっかくここまで来たのに・・・・・
道の駅「うずしお」の駐車場からは大鳴門橋の真下を階段で下りていき、海面近くまで接近することができる。そしてそこがうずしおのビュースポット!
橋の構造が好きなマニアにはたまらない光景かと思われる。
しかしこうゆう大きな橋の構造を見ると人間はすごいなと素直に感心する。明石海峡大橋は吊り橋で世界一だし青函トンネルは何十年もたつのにいまだに世界一の海底トンネルです(2010年11月現在世界2位になってしまった)。なんだか日本という国に惚れ直してしまう。
世界レベルの技術力はこの先も絶やしてはいけない、そのためにはもっと脚光を浴びないと日の目を見ないのではないだろうか。こうゆう地図に残る仕事に携われればと思うとなんだかワクワクする。別に転職はしないけ(笑)
まともな写真がなくて申し訳ない。多少ではあるが波がうねっているのを確認いただけるだろうか?
やはりうずしおを完璧な状態で見るには時間を選ばなければならない。次に行き時こそは同じ過ちを繰り返さないように心掛けたい。
淡路島で撮れた写真たち。このJUSCOではマックにお世話になりました。
しかしこの島に15万人もの人が住んでいるわけなので人口密度はなかなかのものです。島の面積も本州などを除くと第7位の大きさです。じゃあ大きいのはどこだろう?全く調べてないから間違っているかもしれませんがたぶん一番大きな日本の島は北方領土の択捉島
えとろふとう)だと思う。
択捉島
国後島
佐渡島
対馬
熊本の天草あたりの島
長崎の平戸
勝手に予想した面積上位6位はこんな感じ。そのうち気が向いたら答え合わせします。
でも、このホームページを作る時はなるべくその記事の情報を裏付けるためにウェブで最新の情報見るようにしている。自分の目で見てきた情報を裏付けることはもちろん、見逃した面白いものや次回の訪問の際の参考になるものも少なくないので、再度調べなおすことでちょっとした雑学にもなる。
例えば・・・
淡路という名前はどこから来たのだろう?と考える時、何となくそれは阿波への道=淡路と連想することができる。阿波は阿波踊りで有名な現在の徳島県。京から阿波に行くためにはこの島を通らなくてはならず、昔の人が阿波へ続く道ということで淡路と名付けたという説がある。私的にはこの説を信じたい。地名の由来というものを辿る時、その奥の深さと面白さに面食らう。実際に書店で地名の由来を専門とした本まで置いてあったのには驚いた。当然私はその本を手に取り買わずに立ち読みしました。
個人的に気に入っている淡路の写真3枚です
左の写真は冒頭に紹介した明石海峡大橋に引けを取らない雄大さがあり、天気の良さもプラスとなって写真写りもイイ!
右の写真はおそらく日本中探してもここにしかないようなデザインが面白い。きっと特注品の筺体なのだろう。
餘部鉄橋
そうそう、兵庫県の橋と言えばこれを忘れてはならない。テツのみなさん、お待たせしました。
餘部鉄橋(あまるべてっきょう)です。
これは外せないでしょう。鉄道マニア(特に撮り鉄)には大いに有名。山陰本線アマルベ駅にはこの鉄橋を撮影するためのビューポイントまで用意されている(近年廃止されたもよう)
さらに言うとこの橋は2010年7月には廃止されてしまう。現在はすぐ隣に新しい橋を建設中であり、8月のお盆頃には新しい橋で供用が始まる。
しかし鉄道ファンを中心として現行の鉄橋の今後について議論が絶えない。確かに明治時代に作られた歴史ある橋であり、トレッスル橋としては未だに日本一の巨大さを誇る。実際に行ってみると分かるが本当に巨大でものすごい存在感である。
これが明治42年の着工というのだからますます驚きが隠せない。
数年前にTBS系列の特急田中3号というドラマが放映されていただがこのドラマの監督もこの餘部鉄橋に特別な執着があると語っている。某漫画でそれは明らかとなった。
もうひとつだけ。
1986年の年末に大惨事が起きた。鉄橋を渡っていた車両7両が強風にあおられて橋の下にある工場に直撃し、従業員や運転士など6名が死亡した。この日は風速25メートルというかなりの強風だったためだと思われる。
1988年には慰霊碑も建立された。このような事件もあったからか、かなり昔から新しい橋の建設に関しては議論されていたようである。
では大きいサイズの餘部鉄橋を・・・・
餘部鉄橋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%99%E9%83%A8%E6%A9%8B%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86
たまにはこうゆう都会の兵庫も行ってますがやはり田舎・秘境の方が肌に合っている感じです(^^ゞ
甲子園
さて、兵庫県には毎年夏休みになると他県から多くの人々が終結します。全国の高校球児憧れの聖地と言えば!?
阪神タイガースのホームグラウンド 甲子園 ああ、六甲おろしが聞こえてきそうだ(笑)
勘の良い人には私がどこを応援しているか分かってしまうんだろうか?
高校生のアツい青春の舞台に来てしまいました、それにしてもすごい熱気です。この時ばかりは旅も忘れて一心に
○○○○○高校の優勝を祈願した!やっぱり生で見ると違います。
このグラウンドに立つために血の滲むような努力をしてきたのだろう。普段あまりスポーツ観戦をしない私も高校野球について、甲子園についていろいろとネットで調べるようになりました。
私が応援した試合は見事勝利!興奮冷めやらぬまま今度は今夜予約をしてある島根を目指すべく高速の入口を探す。するとそこには京都でお世話になった小倉優子さんの店が・・・・
世界遺産 姫路城
日本で最も華やかで豪華絢爛な創りとしてその名を馳せる「姫路城」のご紹介です。
とにかく敷地がものすごく広い。この日は2010年8月14日、たぶん35度を超えてるんじゃないかと思えるほどの激しい日差しが日陰のない敷地に降り注いでいた。この広場の一角には建設当時の木材が展示されていた。
木材はすごいですね、コンクリートや鉄筋ではこんな何百年ももたないと思います。
世界遺産であると同時に国宝でもあります。
これは明治初期に造られた鳥瞰図。天守閣に至る道が複雑で一か所しかないのが見て取れる。
城とは本来要塞の役割を果たすものであり、大名の権力を誇示するとともに籠城戦になった時のことを考えて複雑に作ってあります。
そんな姫路城ですが残念ながら工事中でした。あと何年かは工事が続くようです。
確かに雄大な景観です。
狭間(さま)です。狭間とは内側から外敵に向かって矢や鉄砲で攻撃するための穴を指します。
それぞれ矢狭間や鉄砲狭間と呼ばれております。今回はUnderzZEROさんの城用語集を参照させていただきました。
http://underzero.net/html/casl/cas_m_sa.htm
工事中のためここまでが限界でした。天守閣に登ってみたかった・・・
城郭部分に城を囲むような形で回廊が整備されている。たぶんこれは見張りの意味合いもあったんだと思う。
ここには最初に敵が侵入してくるわけだし。
↑この消火栓なんかはさすが世界遺産という感じ。観光地には周りの景観に溶け込むように看板等が他と違うものが採用されていたりする。ここではこのように木造の建物にちなんで木製の消火栓だ。木製かどうかは知らないが木製に見える。愛媛県のローソンは「愛媛みかん」を意識しているのかローソンの看板がオレンジ色だった。
草津温泉では火山を意識してか白黒のセブンイレブンを見た。
なるべく日陰を歩くようにした。本当に溶けるような暑さだ・・・
そしてその後は自分にご褒美を!
大汗をかいた後のかき氷は最高である。これがそのまま昼食になってしまった。
明石焼きと日本標準子午線
さっきのが昼食おnつもりだったがやっぱり足りない。
そこでご当地グルメである「明石焼き」を食べることにした。明石焼きとは「たこ焼き」によく似ているがタコが入っていない、これをだし汁につけて食べるというもの。味はなんかイマイチ。
兵庫県明石市には日本の標準子午線が通っている。日本における時間の基準がこの「東経135度」なのである。
日本国内に時差はないが東西にも広いので結構時差を感じてしまう。
例えば8月に北海道の根室にいると19時ごろに暗くなってくる。
逆に8月に鹿児島にいると20時くらいまで明るい。
時差は無くとも体感できる時差は存在する。
お次は県の西部のご紹介です。
| | ここは兵庫県の養父市。兵庫県北部の山間部に位置し、鳥取県と隣り合っている。
ちなみに左の写真は養父市のイメージキャラクターの「やっぷー」である。
なんとなく「すごいよマサルさん」に出てくるあのキャラに似ている気がするが気づかなかったことにしよう(^_^;)
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その養父市の西の外れにあるこの「天滝」は、日本の滝百選に選ばれる名瀑布だ。確かに迫力があって堂々とした男らしい滝である。
その天滝に通づる遊歩道にはたくさんの滝がある。上に載せた滝以外にもたくさんの滝があり、順番に紹介すると・・・
しのびの滝→岩間の滝→糸滝→連理の滝→久遠の滝→夫婦滝→鼓ヶ滝 というラインナップだ。
そしてそれらの滝の先にあるのが天滝となる。
いつもより大きなサイズで載せてみました。これが天滝です。駐車場から歩いて1.2キロ程なので散歩がてら丁度いい距離です。
個人的には写真左下に写る廃遊歩道の存在が気になるところです、いったいどこに通じていたんだろうとか妄想してしまう。
滝の麓にはこのようによくある説明文の看板が立っている。これによると落差は98メートルもあるとのこと。
神社っぽい雰囲気でパワースポットとも取れるような雰囲気のこの場所は、滝から得られるマイナスイオンも手伝って妙に神聖な感じがしました。
続いては天滝から少し東に移動したところにある「ミズバショウ自生地 ロックガーデン」へ来てみました。
しかし時期が少し早かったようでまだ殆ど咲いておらず、僅かに花を咲かせていたミズバショウのハナも鹿によって食べられていた。
それにしてもここ、すごい風が強くて寒かった。
ここは鳥取県と兵庫県の県境にあたる戸倉峠付近にある「滝流しそうめん」である。
ここで昼食を食べる予定でしたがどうゆうわけかお店はクローズ。ゴールデンウィークだと言うのになんということだ・・・・
30レーンもの雨どいのような中をそうめんが流れる姿はさぞかし爽快だったことだろう。
そして流れてくる距離も30メートルもあるという。期待していただけにここはショックが大きかった。
仕方がないので近くの道の駅「はが」で名物の笹うどんを食べました。麺が緑色をしている以外は普通のうどんです。
ちなみにこの道の駅は「近畿道の駅第一号」との事である。一体いつの話なんでしょう?そして巨大なリンゴのオブジェはなんなんでしょう?兵庫県ってリンゴが有名でしたっけ?
波賀城跡
続いては波賀城跡に来てみました。
ここは地図帳やガイドブックにもあまり載ることのないかなりマイナーな観光地です。
我々がここに来た際も他にも車は1台も無く、全工程中出会った人と言えば草刈りをしているおじさんただ一人でした。観光客ゼロ。
ここは紅葉の時期や新緑の時期にお勧めしたい。正直この時は雨の予報だったので途中で雨に降られることにビクビクしながら歩いていたが何とか無事に済んだ。
写真のような整備された遊歩道を延々と30分くらい進むと最終的には城山という山の山頂にたどり着く。
山の山頂に来たならばまず景色を楽しむべし!
もっと晴れてたらそれはそれは素晴らしい景色だったことだろう。この写真も随分きれいに撮れている。
山頂から少し下ったところに城跡がある。上の写真は「学習資料館」という最近出来た城風の建物。写真を見ても全く「古さ」はない。
ちなみに右から2枚目写真に石垣が写っているが、マニアには「石垣の積み方で年代がわかる」という強者もいる。
石垣の積み方一つをとっても
・野積み
・乱れ積み
・練り積み
・切り石積み
・谷積み
・コンクリートブロック積み
・間知積み
などの種類がある。私もこの知識は「廃道をゆく3」という本から得たもので、この世界は本当に奥が深いと思う。
城の扉に何気なく手を伸ばしてみたらなんと開いてしまった!
当然こうゆうところは施錠されているものだと思ったがこれは意外。
ということで波賀城にお邪魔してみました。中には学習資料館らしく歴史年表や写真飾られており、いかにも近所の小学生が遠足に来そうな雰囲気を醸し出していた。急な階段で2階に上がると窓が開くようになっており天守閣?からの眺めを楽しむことが出来た。
波賀城の後はここの道の駅で休憩。
その向かいに伊和神社というそこそこ有名な神社があり、恒例の御神籤引きをする為に境内へと入る。
先ほどの波賀城とは違いここは結構人が訪れるようで、出雲大社とまではいかないものの道の駅の存在によって人が集まってきているという印象を受けた。
ここ最近の「道の駅」の存在感は増すばかりで、単なる休憩所としてではなく地域の特産品を扱ったり観光案内所を兼ねていたりと、だんだんと多方面に手を広げてきている。中には温泉や宿泊施設まで兼ねる道の駅まで存在する。
道の駅の普及と共に急速に衰退しているのが「ドライブイン」だ。
ドライブインは特に何か定義があるわけではないが、トラックが停められるスペースがあって食堂がある国道沿いの施設というイメージが強い。本当に最近は地方の国道を走っていると廃墟化したドライブインをよく見かける。