徳島県
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| 徳島県の旧国名は「阿波」といい、阿波踊り(あわおどり)で有名です。
総人口は約80万人弱であり、近畿圏からの影響が色濃い風土である。 |
鳴門海峡を渡ってここまで来るとさすがに「ずいぶん遠くへ来たもんだ」なんて思ってしまう。関東人から見ると徳島県は四国の玄関口であり時間的にも10時間もあれば来れてしまう。
それでも遠く感じるのはここが本州とは違う「島」だからかもしれない。
あまり普段意識してませんが本州だって島である。
外国人から見たら「日本人は皆、島国に住む独立民族」ということになる。
正確には北海道にはアイヌ民族が住んでおり単一民族国家ではないということを強調しておきたい。だが彼らは淘汰されつつあり、アイヌ民族は現在25000人ほどしかいない。
上の写真は名峰「剣山」に至る途中の風景である。左の写真の民家はもともと2階建てだったのだろうか?強引に3階部分(下)を増築した感があるが、下の石垣や川の上に危なそうに立っている光景はちょっと怖い。
まん中の写真は剣山に至る車道であるが1車線分しかない部分も多く、対向車と離合できないため地元の方を除けば結構スリリングな山道だと言える。
ここからはスキー場のリフトのようなものに乗って登山口を目指すことになる。このリフトがあるおかげで剣山は100名山ながら比較的簡単に登ることができる。
中央の写真では先ほど通ってきた車道が見える。こう見るとえらい自然破壊ですね・・・・・
リフトから見えた奇妙な光景。
なんだか大切そうに石で囲まれた植物が何個か見受けられた。希少な高山植物なんでしょうか?
ここでリフトを降ります。右の写真はちょっと面白い。連なる山々が何重にも渡ってフェードアウトしていく。
最終的に山なのか雲なのか良く分からない。
左の写真はマウスを合わせると拡大します。それにしてもここは本当に人が多いです。夏休みだからなおさらかもしれない。
先ほどの神社の脇を向けるとそこは山頂への木道が続いていた。
この山頂には昔は木道等は無かったが、登山者が高山植物を踏み荒らしたりゴミのポイ捨てが目立ったため現在のような木道が整備されたとしている。
しかしそれは無理もない、100名山の山頂としては信じられないくらいの緩やかな山肌は草原のそれを呈しており、苦労して登ってきた登山者や子供達は草原に寝そべったりはしゃぎ回ったりご飯を食べたりするはずである
。
もうひとつ、この山頂には2001年に廃止された気象観測所がある。これは日本で2番目に標高の高いところに建てられた気象観測所になります。もちろん1位は富士山。
それにしても9年間も撤去されずに残ってるなんてすごいことです。まあ、撤去費用もまたすごいことになるんだろうけど・・・・
そしてこれが山頂の様子。苦労して辿り着いたという感じではなく、それほどいつもの達成感は無い。
でも山頂からの眺めはやはり素晴らしく、遠くに見える稜線を走る尾根道がとてもキレイに見ることができます。
右の写真を見ると森林限界との境がクッキリと見えます。
ちなみにこの木道↑は定期的に架けかえられているようです。なんだか新しかった。
帰りのリフトの様子です。普段スキー場では「下りのリフト」に乗ることは殆ど無いため、なんだか少し怖いような楽しいような良く分からない感覚に陥った。
途中、お茶のペットボトルが入った段ボールがリフトに乗って通り過ぎて行ったが、なんだかちょっと癒される光景でした。右の写真はトンボを捕獲した現場です。マウスカーソルを合わせると私が暴挙に出ます(笑)
剣山編はこれにて終了。次はかずら橋編へと移ります。
その前にこれを見てほしい。これは剣山からかずら橋に向かう「国道」である。国が管理する道、それが国道。
でもこれっていわゆる
酷道 なのでは!?
あまりに国道っぽくなかったのでちょっと興味が湧いてきた。この道はどんな道路なんだ!?
右の航空写真をご覧いただくと分かると思う。何もない山間の道に青いおにぎり=国道のマークが!
これは県道(険道)レベル、いや、市道(死道)レベルでもいいのではと思うが・・・
でも国道とするからには何か重要な意味を持つ道路なのだろう。
いろいろ調べてみるとこの国道439号線は酷道マニアの間では「439=ヨサク」と呼ばれて親しまれているようでこの道を前線制覇することは彼らにとって一種のステータスとなっている。
ちなみに私も最近この酷道マニアの世界に片足を突っ込んでいる、酷道だけではなく旧道や廃道と言った交通以降全般について
このサイト
を見てから私もハマってしまった。過去に活躍した交通遺構を探索することはその地域の歴史・文化に触れる行為でもある。 | | |
かずら橋への道です。この3枚の写真はほぼ同じ所から同じ時間に撮影したものですが、カメラの撮影モードをいろいろ試していた結果このような写真となってます。ISOを変えるだけで暗い遊歩道もこんなに明るく撮れるんですね。撮影技術はあまり無いと思う私ですが友人からいろいろと教わり最近ではマニュアル撮影ができるようになってきました。
※ISOの変更で暗いところを撮れるのはいいがその分ノイズが乗りやすいという点を忘れてはならない。このような時は三脚が重宝される。さらにタイマー撮影すれば手ぶれによる残念な結果を回避することができる。
カメラの話で脱線しましたがかずら橋のレポに戻ります。そもそもこのかずら橋とは、太めのツタを使用した原始的な吊り橋であり、大正時代までは現役で普通に使われていたそうな。
落ち武者が追手を恐れてすぐに壊せる橋を作っただとか弘法大師が人々の為に作っただとか諸説あるが、現在のものは純粋なかずら橋ではなく見えないようにワイヤーで補強されているらしい。
かなりアドベンチャー色の強いスポットですがまだまだこれだけでは終わりません。
ところでこの橋、3年に一回ちゃんと地元の人によって安全のために架けかえられてるんだとか。しかも架けかえるのに2週間くらいかかるらしい。地域振興のためとはいえそんな涙ぐましい努力をしているんですね〜、深イイ話です。
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ちょっと写真がブレて見えます。なぜなんでしょう、湿気の高いのとか関係あるんでしょうか?ちなみに右の階段はかなり急で滑りやすい。 |
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河原に降りて下から見上げてみた図 | ↑滝からのマイナスイオンを受ける私 |
こうみるとかなり隙間が空いているのが分かる。 |
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近くにあったもう一つのかずら橋です。こちらの方がツタの絡まり具合がよりグロテスクで良い雰囲気である。
奥にはキャンプ場があり、そこへ至る川越の方法がこれ↑である。
これは何と呼べばいいんだろう?川渡しのゴンドラ?川越ゴンドラでいいか。
この川越ゴンドラは大人2人子供1人載せたらいっぱいになるくらいの積載量で、動かすにはそれなりに腕力が必要となる。
お次は案山子(かかし)の村?をご紹介
かずら橋を楽しんだ後は「大歩危・小歩危」方面へと向かう。相変わらず酷道であるのは言うまでもないが剣山から離れるにつれてまともに近付いてきている。
その途中で見つけた案山子の村。始めは本当の人間かと思いましたが全く動かないのと、右の写真の案山子は右足があり得ない方向に曲がっている。
以前何かのテレビで見たことはあるがこうして自分で来てみるとなかなか不気味な村である。ちなみにこの案山子の村には偶然に辿り着いた。ここに来たいと思って調べてきたわけではなく、たまたま剣山からの帰りに通っただけです。
それにしてもこの村は随分と巨大建造物が目立つ。悪いけど見た感じ(案山子以外は)普通の農村であり、こうゆう物は似つかわしくない。
特に右の写真はわざわざ大量の鉄骨を使ってまで駐車場っぽいものを作ったようです。ここまでしてなぜこんな立派な駐車場を?
途中でこんな橋も見つけました。支えるものが何もないちょっとおっかない橋。前に
広島編
でも紹介した橋と構造は同じッぽいです。
大歩危・小歩危
読めますか?これは「オオボケ・コボケと読み、非常に危険な渓谷であることからこの名がつけられている。
名の由来は諸説あるが、大股で歩くと危険という説もあれば当て字説や「ほけ・ほき」の地名からきているなど正確な由来は分からない。
見ていただければ分かる通り、この付近一帯の吉野川の両側は険しい断崖となっており、通行にはとても危険が伴う。
一部は遊歩道として歩くことで出来る、基本的には国道沿いであるため、迷うことはないが夏休みやGWは混雑していて車を止められないこともある。
これは小歩危にある謎のつり橋。この橋は特に観光地化されているわけでもなく、近くこれといって駐車場があるわけでも無い。
さて、一体この橋はなんなんでしょう・・・? すこぶる景色は良いが今考えると謎の多い橋である。
なぜならこの橋はどこにも繋がっていない・・・ように見える。
橋はそこそこ立派だが対岸に着くと突然道は消える。
一応道っぽい痕跡は残るものの、それでも強引に進もうとすると右の写真のようになってくる。
つまりこの橋は車・バイク・自転車・徒歩、いずれの方法でもどこにも通じていない。
それなのに観光用としてなのか、橋自体は綺麗な状態を保っている。
ヤフーマップやグーグルマップで調べてみてもこの橋は表記されていない。
謎を残したまま悔しい思いでこの地を去った。
徳島県編はこの辺にしようと思います。全体的に写真が多く文章が少ないのは、文化的な観光地で説明の必要があるスポットを殆ど紹介していないということに尽きる。
こうして見返してみると殆どが自然の景観の紹介となっている。もう少し多面的な見方で観光をとらえた方がいいのかもしれないですね(^^ゞ
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