このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

サンティアゴ・デ・コンポステーラ の歴史②

聖ヤコブの遺体発見

 813年の奇跡の発見は今日に至るまで語り継がれいている。
話はいかにもカトリックらしいもので、隠修士パイオが山上の一筋の光を見つけ、
アイルランド人司教テオドミーロに伝えたところ、その場で聖ヤコブとその弟子たちの墓があるに違いないと断定。
アルフォンソ二世 (※1) がこの地に巡回したとき、聖ヤコブ゜の墓ガ発見された場所に、
教会の建設を命令したとされている。
その後のアルフォンソ3世 (※2) の時代にもっと荘厳な教会に立て直し、
すぐそばにベネディクト会派共同体施設(修道院)も新設。
10世紀への変わり目にはノルマン(バイキング)とイスラムからの攻撃に備え、
要塞のような堅固なものへと改築。



脚注

※1 アストゥリアスとレオン王国国王、在位791−842年、
イスラム教徒により支配されていたイベリア半島を、
逃れ住んでいた北方のカンタブリア山脈方面から徐々に南下して国土を奪回するという、
国土再征服運動初期のキリスト教の王。
オビエドに宮殿は構えていたが、当時の国王は定住せず、
常に宮廷と共に旅を続け領地統治にあたっていた。
※2 在位866−,912,年?、サラマンカとソリアをイスラム教徒から奪回。


世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ    つづく

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