このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
サンティアゴ・デ・コンポステーラ の歴史③
コンポステーラの最初の繁栄期
997年にアルマンソール率いるイスラム教徒軍に集落と聖堂は荒らされるが、
すぐにペドロ・デ・メソンソ(Salve Regina という聖母マリアの祈りの歌の作曲者)とベルムード二世司教らによって再建。
そしていよいよ1075年にロマネスク様式の聖堂建設が開始、この時の司教はディエゴ・ペラエス、
そして国王はもうすでにカスティーリャ・イ・レオン王国と拡大していた
キリスト教王国のアルフォンソ6世 (※3)・・・つつく(近日中にまとめます)。
ディエゴ・ゲルミレスの時代にコンポステーラの最初の繁栄期を迎える。
ローマ教皇カリクソ二世より大司教座が移転され、
エメリア地方(※4)の拠点の地位とパリオ(※5)の着用権、聖年(※6)の権利などが与えられた。
彼はアルフォンソ7世(※7)の指導教師でもあり、1111 年 にこの大聖堂で荘厳な即位式が行なわれている。
そしてこの頃クラビーホの戦い伝説(※8)が広まり、聖ヤコブへの信望が高まるに連れ、
多大な金がこの大聖堂に集まるようになってきた。
現在見られる多くの建物はこの当時のものであり、
フェルナンド二世王とアルフォンソ9世王の遺体が大聖堂埋葬されていることもこのまちに恩恵を与えてきた。
脚注
※3 在位1065−1109年、イベリア半島の中心トレドを奪回し、イスラム教徒に対して画期的勝利を得る。
中世武勲詩にたたえられるエル・シッドの主君でもある。また、サンティアゴ巡礼の大推進者。
※4 イベリア半島北部・西部の古代の地方名。
※5 大司教用の肩衣。
※6 この年には大赦を与えることができる権利、
これを求めて多くの巡礼者が集まってくるというカトリック教会でも重要なもの。
※7 レオンとカスティーリャ王国の国王(1104−1157年)。
活力があり政治的な人物で母でであり女王であるドーニャ・ウラカとの争いに躊躇することはなかった。
またイスラム教徒からハエン(アンダルシア)を奪回、アルカンタラ宗教騎士団の創設者でもある。
※8 クラビーホにおけるイスラム教徒との戦い(国土再征服運動)の最中、
白馬にまたがった聖ヤコブ(サンティアゴ)
が陣頭指揮を取り、キリスト教軍を勝利に導いたというもの。
世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ
つづく
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