このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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* 季節を旅する *


写真は大原・宝泉院の額縁庭園です       秋を追って京都へ

“紅秋の夕べ 光と音と香り 癒しの多次元幻想空間” 
 こんな言葉に誘われ、晩秋のある日大原・宝泉院《写真:左》を訪ねてみました。 桜の春、青葉の夏、そして紅葉の秋と、それぞれに違った表情を見せてくれる大原に、 昨年は何故か3度も行くチャンスに恵まれ、大変ラッキーでした。
 美しい竹林や、歴史を感じさせてくれる近江富士型の五葉松がある額縁庭園、そして遠く大原の山並みを眺めながら、 赤い絨毯の上で一服のお茶を頂く時、フゥーと全身がほぐれて、心の安らぎを憶えるのです。
 今回はライトと蝋燭での紅葉ライトアップ、アロマライトとお香のアロマアップ、水琴窟と声明のサウンドアップ、 これらによって創り出された幽玄・幻想の世界を、心ゆくまで堪能する事が出来たのです。
写真は寂光院の長く美しい石段です また平成12年5月9日未明、放火により本堂が全焼してしまった寂光院《写真:右》のその後が気になり、立ち寄ってみました。 無残な焼け跡では、本堂再建の準備が始まっており、一先ず安堵したものです。それにしましてもその1ヵ月前、 汀の桜を観にひっそりと静寂に包まれた寂光院を訪ねた時、建礼門院の哀しみが今尚伝わってくるようで、痛く感動したと 言うのに・・・・・。ものの哀れを感じさせてくれる寺だと、改めて遣り切れない想いに囚われるのでした。

 ガイドブック片手に、バスと地下鉄を乗り継いで、足の向くまま気の向くままに歩き回る私流のお寺巡りは、 そこに住む人々の息遣いや、風の流れも同時に感じる事ができ、いまでは何よりの愉しみとなっているのです。
 大徳寺・高桐院《写真:左下》が絵画的ピークを迎えるのは、紅葉が深まり、やがて散り始めるこの頃。 「散紅葉」「紅葉時雨」と言う、普段忘れてしまっている日本語を、実感する瞬間でもあるのです。

写真は大徳寺・高桐院の散紅葉です写真は10月桜のアップです写真は実光院の不断桜です 実光院《写真:左隣》の不断桜《写真:中央》は、秋から春にかけて花をつける我が家の庭にもある珍しい10月桜の一種で、 秋には紅葉狩りと観桜が一度に楽しめます。
 今回の旅では、曼殊院《写真:下中央》と詩仙堂《写真:右下》を訪ねるのも愉しみの1つでした。
 曼殊院の白壁と鮮やかな紅葉のコントラスト。詩仙堂の真っ白な山茶花の大木と、静けさの中に響く風情ある鹿おどし。 隠れた紅葉の名所圓光寺では、シニアカメラマンの大群に驚いたり、戦闘の激しさを血天井が語る源光庵では、悟りの丸窓と迷いの四角い窓を 交互に前にし庭を眺めたりと、それぞれの秋を存分に満喫したのでした。

写真は青空とモミジのアップです



写真は曼殊院の白壁とモミジです



写真は詩仙堂の白い山茶花の大木です









 今秋の紅葉前線の南下はゆっくりだったため、初夏のオーストラリアから戻って3日後には、 「まだ間に合う!」と、秋を追いかけ京都へ向かいました。
 ふと一人になって、押しつぶされそうな孤独感に支配されてみたくなり、こうして時々、 毎日の暮らしの中では絶対に味わえないものを求める旅に出かけるのですが、それが自分を奮い立たせる「元気」の源に なっているのかも知れません。また暫く頑張れるかな!!

               平成12年11月29日(水)〜12月5日(火)



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