いまの勾金駅はラーメン屋さんの「ぽっぽ駅食堂」で、駅は横の方からちょこちょこっと入っていく。
地上駅でいまでも使いよるとは相対式ホーム2面2線やけど、2番線のホームは島式でその奥にはまだ貨物線の線路と設備が残っとった。構内は貨物ば扱いよっただけに長うて広か。列車行違い(交換)の悠々でける無人駅ていうことになる。
また1・2番線の間も離れとつて、いぜんは中線があったて思われる。両ホームへの連絡は遮断機なしの構内踏切で自由にしよる。
勾金駅では、昭和51年(1976)から平成筑豊鉄道になる前まで、香春岳の麓にある日本セメントの工場と(現・太平洋セメント)3.0kmの専用線が繋がっとった。
日本セメントの香春工場は、昭和10年(1935)に操業ば開始し、生産量がどんどん増えたもんやケン、新しか船積み基地ば苅田港に新設して、勾金駅と苅田港駅との間で本格的なセメント輸送が開始された。
このセメント輸送列車は、勾金駅と苅田港駅の間ですくなくとも1日3往復、20両の貨車ばキュウロクが牽引して運転されとった。
山好きの駅長としては、石灰岩ば取りたかしこ取って、香春一の岳は半分削りとってしもうた憎たらしか会社いうことになる。
上左右・構内の北側は広いスペースがあって、トラックから貨車に積み込む設備が朽ち果てとった。
下左右・引き込み線は線路はさびくれ、木が生えて、まさに強者どもの夢の跡
勾金いうとは「銅」のこと、そしてこれは駅のある香春で採れよった銅と密接にかかわっとる。
古か話やケン、大半はおーまんな駅長の推測バッテン、豊前国風土記によれば、おおむかし8世紀(713年)頃、新羅から日本に渡ってきた技術者によって精銅されよったて考えられる。この朝鮮の技術者達は自分たちで自発的に渡ってきたいうより日本に拉致されて来たとかも知れん。
戦前の炭坑労働者の強制連行、文禄・慶長の役の時陶工の強制連行などば考えると、古代日本も精銅の技術者ば半島から強制的連れてきとっても不思議じゃなか。
その証拠に、香春神社の辛国息長大姫自命 (からくにおきなが おおひめ おおじのみこと )は朝鮮半島からの渡来神て云われとる。
駅の歴史は古か。
明治18年(1885)に豊州鉄道の香春駅(かわらえき)として開業しとる。明治34年(1901) 九州鉄道と豊州鉄道が合併したもんやケン、九州鉄道の駅になって明治40年(1907)に、今度は九州鉄道が国有化されたもんやケン、国鉄の駅になった。
それ以来ずーっと香春駅いうて営業しよったとバッテン、昭和18年(1943)勾金駅に改称された。そんなら香春駅いうとはどうなったとか。
小倉鉄道の上香春駅が2代目の香春駅ば継いだ。これがいまの香春駅いうことになる。
小倉鉄道(こくらてつどう)いうとは、もともと機械製造業やった会社で、潰れかけとった金辺鉄道ば買収して、大正4年(1915)に東小倉 〜上香春〜今任〜上添田(現添田)ば開業した。営業区間はいまの日田彦山線の北半分と、廃止されてしもうたた添田線やった。
おっと、香春駅の話じゃなか。勾金駅にもどる。
平成元年(1989) 元国鉄のJR九州が、赤字の田川線ば投げ出したもんやケン、福岡県と沿線の市町村が作った三セクの平成筑豊鉄道が後ば引き継ぎ、ヘイチク田川線の駅に、やっとたどり着いた。
そうして初めに話したごと、平成21年からネーミングライツで「田川高校前」の愛称がついた。
香春鉱山のある香春岳は「風土記」にもその名が載っとる神々の連峰。一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳が南北に連なり、巨石のような山容は周囲の山並みとは明らかに様子が異なる。中世には不落の名城・鬼ケ城が築かれとった。
この山(一の岳)ば鉱区として1935年から日本セメントが採掘ば開始。年間200万トンも切り出したもんやケン、50年で一の岳の標高は492mから270mに低下した。
普通、石灰石鉱山いうとは山の斜面ば虫食い状態にして採掘しよるバッテン、この山は周囲が住宅地やケン、落石ば防止するため、山頂ば切り取った後に内側ば切り込むごと掘っていった。
そやケン、今見るような異形の山にされてしもうた。
山ばちゃっちゃゃくちゃらにしてしもうて、平成16年(2004)香春太平洋セメントは解散、香春工場閉鎖された。
まず勾金ちゃなんかいな、ていうことから話ばせないかん。
そげんせからしかこと云わんでっちゃ分かっとる。金が勾っとるケン、勾金タイ。はい、その通り。正解です。
大昔の太刀・サーベルの柄の部分に指ば保護するため曲がったブリッジ状の金具がついとった。
これば刀剣の専門家は勾金ていうたバッテン、一般的じゃなか。
また、香春から行橋へ行く七曲り峠にある鏡山には、天武天皇の子で西暦689、筑紫大宰帥(だざいのそつ・大宰府の長官)に任じられとった「河内王の墳墓」いうとがあって、この河内王、任務が終わっても河内には帰らんで香春に残り、西暦694年ここで死んどんなる。
なし香春に残ったとか、香春でなんしよんなったとか。
香春で出会うた手持女王(たもちのひめみこ)とラブラブやったとが理由のひとつ、ふたつ目の理由は、ここで産出されよった銅の監督役ばまかされとんなったごたる。
平安時代の中期に編纂された延喜式によれば、日本の銅の半分以上ば香春岳で採れる銅が受け持っとったていう記録がある。
奈良の大仏の鋳造事業が難航したときに、宇佐八幡が託宣ば下しなって「西海の銅」が使われたていうことも分かっとる。この「西海の銅」いうとは香春で採れた銅のことタイ。
いまもその鉱山の遺跡が山中に残っとるし、麓には日田英彦山線の「採銅所」ていう駅がある。
おおむかしの話ばっかりしてもいかんケン、駅の話ばしよう。
上・1番ホーム(ラーメン屋の裏口)にヘイチク号が到着。駅舎の横には井戸があって洗濯もんがぶらさがり、生活の匂いがぷんぷんしとる。下・駅構内の東側。右が駅舎と1番ホーム。左が2番線ホーム。正面は飯岳山(大阪山)。
左上・2番線から行橋行きが出て行く。遠景は飯岳山。
左下・古いままのポーチ
右上・1番線に田川行きが入線してきた。小豆色した新車の「浪漫号」 急に乗ってみとうなった。
右下・2番線ホームにある古か赤煉瓦の建物は ? 油倉庫か ?
遠くに香春岳が見えとる。
上・香春一ノ岳から掘り出した石灰岩はベルトコンベアーで、金辺川と国道201号線ば股越して香春工場に運ばれ、専用線で香春駅・勾金駅へ送られた。
中・田川石炭公園から撮した香春岳。左から
香春三ノ岳511m
香春二ノ岳468m(登山禁止)
香春一ノ岳は492mから掘り散らかして270mにまでしてしもうた。
下・ぺっちゃんこになってしもうた一ノ岳と日本セメント(のちに太平洋セメント)香春工場。