ホームと面(つら)いちにするため、雛段のごと嵩上げされて大正ロマンていうか、西洋風犬小屋になった
佐世保線(させぼせん)は、肥前山口駅で長崎本線と別れてひとり旅、早岐で大村線といっしょになって佐世保まで行っとる。ほとんど国道34号・国道35号と並走し大村線のハウステンボス駅さい直通する特急列車も走る。
肥前山口から北方ば通り越して、長崎自動車道の武雄北方インターばアンダーバスすると武雄市に入る。バイバスへは行かんで旧道ばちょこっと走ると左手に可愛らしい「洒落た犬小屋風」の駅が見えた。
左・跨線橋から見た西日のあたる駅舎。 右・2番ホームから見た駅舎。
上り下りのホームとともに、ローカル駅にしては広か構内に引き込み線の跡があった。この駅むかしは武雄近辺の貨物ば引き受けとったとのごたる。
開業当時の佐世保線はもちろん蒸気機関車ばっかりやったろうし、物流は国鉄に頼っとった時代やケン、各駅ごとに貨車の切り離しや連結の作業が必要やった。
駅前には黄色か日本通運の倉庫もあったっちゃなかろうか。駅舎と並んで駅長さんの社宅もあったとやろう。
そんなら駅舎もこの時代にでけた木造駅舎といっしよの堂々としたもんで、待合室も寅さんの映画に出てくるごたるもんやったに違いなか。
そう考えよったら、デゴイチが走り腕木式信号機の下でC11が貨物の入れ替えばしよった姿が目に浮かんだ。
上・高橋駅の正面。駅舎がホームの高さまで嵩上げされとる。
下・駅舎がモダンで新しかとに、表札だけが古うてチャチ。
これが佐世保線の高橋駅。駅の前に駐車スペースもあって寄りつきがヨカ。
駅長はこの駅ば目的に走って来たとやなかったバッテン、前ば通りかかって「おやっ、木造駅舎じゃなかか ? 」て思い、Uターンして駅前に車ば停めた。
停めた車の目の前が古か板壁でその向こうがトイレのごたったケン、まず用足しに入る。しかしトイレなんていう洒落たもんじゃのうて「くみ取り式」の懐かしか便所やった。
この駅、大正12年(1923)に国鉄の駅として開業しとるちゃケン、もう人間でいうたら88歳の米寿。
当時のままやったらNHKも飛んで取材に来るとやろうバッテン、残念ながら老朽化しすぎて、平成元年(1989)に建て替えられた。
その時にいまのような、木造まがいのオランダ風駅舎になったらしか。
もちろん駅には人の子ひとりもおらん無人駅で、1日の平均乗車人員は2005年度で138人ていう。
改札口に自動の券売機がポツンと置いてあった。本来なら無人駅であっても入場券ば買うて入らないかんとやろうけど「だぁれも見とらんケン、よかタイ」で、さっさとホームへ出てみる。
このへんは佐賀平野の中やケン地盤軟弱地帯。この区間も路盤が非常に悪かケン、単線用の架線柱も殆どが両側から支える門型のもんば(ここギャグ)使うとる。
相対式ホーム2面2線で互いのホームは跨線橋で連絡しとる典型的な田舎の駅の造り。
跨線橋に上がってみたら下り列車の進行方向にツツジで有名な御船山の双頭が見えた。
西へわずか2.3kmで隣は武雄温泉駅タイ。
いまはなんていう特徴もなか小さか駅バッテン、帰って調べてみたら、たったひとつ威張れることがあった。
「なんなそらあ」(こっから急にはかた仁和加になる)
「隣の駅といっしょに並べたら」
「あぁ 早よ言わんな」
「高橋武雄て人の名前になるケン、有名かとゲナ」
左・跨線橋の向こうに武雄の御船山が見えとる。
下左・通り抜け待合室。
下右・ホームから見た改札口とホームの待合小屋。
上・引き込み線の向こうに、むかしはなにがあったとやろうか。
左・こっちにも引き込み線の跡