初めて羽犬塚駅てこの駅の名ば聞いた人は一瞬( ? )とおもうやろう。しかも地元筑後のもんは「はいんつか」て発音するケン、なお( ? )てなる。
なし羽犬塚かについては最後の( ? )ば読んでもらうとして、この駅名は、開業当時に駅が八女郡羽犬塚村(のち羽犬塚町から筑後市)にあったけんタイ。
羽犬塚はいま筑後市の中心で、八女地区の玄関口としての役割も果たしとる。市の庁舎も駅の近くにある。駅前ば南北に国道209号線が走り、駅の構内で大川〜八女ば結ぶ国道422号線がループして立体交差する。
大宰府政庁がでけたことで坊津街道は発展し、人と物資の往来に重宝されたて歴史の本に載っとる。
駅前の国道209号線がほぼその跡ば走っとるていう訳。
筑後三宿の松崎は、いまの小郡市(西鉄甘木線に松崎ていう駅がある) 府中は久留米高良山の門前町(いまの御井町あたり)としても栄えとった。
筑後市いうとは、明治22年(1889)に町村制がでけた時、羽犬塚村やった。
大正14年(1925) 羽犬塚村が町制施行して羽犬塚町になり、昭和29年(1954) 羽犬塚町、水田村、古川村、岡山村が合併して八女郡筑後市となった。
市域は東西7.5km、南北8.2km、面積42平方キロのほぼ平坦な土地、高っかとこで標高40m、低地で5mていう典型的な筑後平野タイ。
人口は平成23年8月で48,891人。正式には「ちくごし」バッテン、通常「ちっごし」てしか云わん。
一番ホームには、2010年12月から市内に鎮座する水田天満宮の末社・「恋木神社」からご神体の夫婦雛のコピーが「恋むすび」いうて置いてある(いや、祀ってある)。
これば情報誌で知った若もんが、お参り(なでなで)に来るごとなったていう。
恋木神社はご祭神に「恋命(こいのみこと)」ば祀ってある珍しか神社で、全国でもここ一社だけゲナ。
恋木の「木」は東のことで、菅原道真が太宰府で生涯を終えるまで、都の天皇や妻子ば思い続けたその思いやりの心ば、せめて霊魂だけも慰めてやろういうことで祀られた神社。
そやケン、この恋木神社は「良縁成就の神様・幸福の神様」として、若者達に人気があるらしか。恋愛祈願・良縁祈願でお参りが多かていう。
上の上・新しか羽犬塚駅。上・朝夕は通勤客で賑あう羽犬塚駅のコンコース。
下・西側からの駅。左のは構内の跨線橋。右は駅の表と裏ば繋ぐ連絡橋。その上ば新幹線が通る。
羽犬塚駅は、明治24年(1891)九州鉄道の駅として開業した。明治40年(1907)に九州鉄道が国有化されたもんやケン国鉄の駅となった。
昭和20年(1945年)には矢部線が黒木まで開業したとバッテン、この矢部線は40年後の昭和60年(1985年)に赤字で廃止された。
それまでは、駅のいちばん東側に「矢部線」の発着する0番ホームいうとがあった。廃止後もしばらくはホームだけ残っとった記憶がある。
平成8年(1996)に二代目の駅舎ば改装。平成18年(2006) 九州新幹線がなしかここの真上ば通るごとなったもんやケン高架橋工事のために仮駅舎に移され、2009年に新幹線が完成して、やっと新駅舎での使用がはじまった。
快速の停車駅で、2011年3月以前は博多方面からの快速・準快速の約半数はこの駅で折り返しとったけど、いまは荒尾駅まで延長運転されるごと変わった。一部の特急も停車する。
線路東側に駅舎があって、駅舎側に単式ホーム1面1線の下り本線、駅本屋と反対側に島式ホーム1面2線、お互いのホームは跨線橋で連絡しとって、跨線橋のそのまた上ば新幹線がまた越して走りぬけていっとる。
三代目の現駅舎は鉄筋コンクリート造り平屋建で自動改札機、自動券売機が設置されとるほか、観光案内所やコンビニ、飲食店、お菓子、特産の八女茶の店舗もある。
1番ホームが鹿児島本線(下り) 大牟田・玉名・熊本方面
2・3ホームが鹿児島本線(上り) 久留米・鳥栖・博多方面
駅の利用者は乗車だけで1日3,079人(2005年のデータ)
もともと羽犬塚は坊津街道の宿場町として栄えとって、昔から交通の要衝やった。
坊津街道いうたら、おおむかしの幹線道路のひとつやった長崎街道と山家宿から分岐して、筑後3宿て呼ばれた松崎・府中・羽犬塚ば通り、肥後国ば抜けて薩摩国坊津港までいたる道やった。
坊津港いうとは、古代から日本の主要港として栄えとった薩摩半島西南端の坊津町(ぼうのつちょう)にあった港で、中国の歴史書には博多津(福岡)、安濃津(あのつ・現在の三重県津市)とならんで日本三津(さんしん)ていわれとった。
町は合併で南さつま町になったバッテン、港は残っとる。