この二日市駅では、もうひとつ知っとるモンしか知らん話のある。
第61代の内閣総理大臣佐藤栄作が、大正15年頃、25才の若さでここの14代駅長ば勤めとったことがある。
今でも二日市駅の駅長室には、佐藤栄作自筆による色紙が飾られとる。
首相になった人が駅長ばしとった唯一の駅として鉄ちゃんの間では有名か。これも駅前に記念碑が立っとる。
話は二日市駅に戻る。鉄道誘致の先頭に立ったとが谷彦一さん。
「ここに汽車持ってくれば二日市温泉の客も増え、町が賑あうバイ」。彦一さんは自分の土地ば、駅の用地として八反(一反は300坪やケン、2,400坪。80アール)も提供したうえ、路線用地の買収に協力しなった。
そして今の二日市駅がある。駅前には昭和41年に運輸大臣中村寅太が揮毫した彦一さんの顕彰碑が立っとる。
ていう訳で、今や筑紫野市の代表駅。特急も半分以上が停車する。博多駅では二日市に停まらん特急は「二日市には停車しません」て放送でわざわざ案内しとる。
二日市駅(ふつかいちえき)は、JR九州鹿児島本線の駅。
どこにあるかていうと、福岡県筑紫野市二日市中央一丁目に入り口は東向いてある。博多駅からは駅の数にして8つ目。昭和の頃は竹下〜雑餉隈〜水城〜二日市やった。
以前は駅のすぐ前ば国道3号線が走っとったとバッテン、いまは筑紫バイパスとして東1kmに移動し、元の3号線は県道112号線として古い二日市市内ば走っとる。
駅がでけたとは明治22年(1889)、博多〜久留米間に九州で初めて汽車ば走らせた九州鉄道が開業させた。
なんせ初めての鉄道敷設、列車ば走らせるルートや駅の場所については、反対運動も多かった。
そのひとつがあんまり誰も知らん太宰府の話。はじめ九州鉄道は参拝客の便利さば考えて、太宰府に駅ば作る予定やった。
ところが大宰府のもんが反対した。理由は「汽車の煙で町が汚れる・汽車で日帰りされたら、参道の旅館がつぶれる・飛び梅が煤煙(ばいえん)で枯れる」やった。
それですったもんだしよったら、二日市が「そんならこっちに来んね」いうて、むしろ誘致しだした。
これと似た話は佐賀にもあって、サロンパスのある「田代」 鉄道が来て分岐点になると「広か土地ば買収されてハゼの木が伐採されて木蝋の生産がでけん」て反対した。
仕方なく九州鉄道は隣の鳥栖に駅と機関区と長崎への分岐基地ば作った。
そのご田代は今でもサロンパスだけ、鳥栖は発展し、鉄道マンだけで3,000人、家族入れたら15,000人が住む町になった。市の人口4万人のウチの1/4が鉄道で生活しよったていう。
鉄道だけではなく、高速も鳥栖JCTがでけて押しもおされもせん九州の物流センターに成長した。
右・二日市に駅ば誘致した「谷彦一翁」の碑。
改札口ば入って左へいけばすぐ跨線橋。
その階段の入口の両脇に跨線橋ば支えとる赤い鉄柱がある。
よう見ると「明治四十四年 鐵道院」・「浦賀渠舩株式會社製造」て書いてある。
これも鉄ちゃんやったらたまらん文化財。(ただしこれについては、このHPの「鉄道遺産」てすでに書いとるケン、そっちばみてつかあさい)
これと同じもんが福間駅にも2組ある(当駅は朱 色、福間駅は白色)が、福間駅のものは旧駅舎の解体によってその役目ば終え、一組は門司港の九州鉄道記念館に、もう一組は福間駅の「みやじ口駅前広場」にモニュメントとして保存されとる。
二日市いうたら、二日市温泉(ふつかいちおんせん)タイ。
駅長が小学校の頃は修学旅行いうたら、もう「博多の奥座敷」ていわれる二日市温泉に決まっとった。
駅のすぐ裏手500mの湯町に、7軒の旅館のほか「博多湯」「御前湯」2軒の共同浴場が今も軒ば並べとる。45.6℃の源泉は適温で、無色透明、無味無臭の湯。
開湯は1300年前の奈良時代ゲナ。開湯伝説によれば、藤原登羅麻呂が武蔵寺の薬師如来にクサ、娘の病気治癒ば祈願しなったところが、夢の中でお告げば受けたもんやケン、ここ掘れワンワンじゃなかバッテン、掘ってみたら温泉が湧き出したとゲナ。
こらまた、何処にてもある話。
いまも薬師湯ていう共同浴場があるバッテン、名前ば使うとるだけでで当時のもんじゃなか。
歴史上の記録では、万葉集に収められた大宰帥大伴旅人の詠んだ歌に初めて出てくる。
湯の原に 鳴く芦田鶴は わがごとく
妹に恋ふれや 時わかず鳴く
(大伴旅人は大宰府赴任時に妻ば亡くし、泣く泣く温泉に浸かっとった)
ところでなし二日市駅か ? 開業のときの地名が御笠郡二日市村やったとが由来。
「市」いうとはマーケット(市場)の事で、鎌倉時代に大勢の売り手と買い手がクサ、ひとところに集まって取引はしたことから「市」が始まり、その「市」ば毎月、二のつく日にしとったケン、「二日市」て呼ばれるごとなったとゲナ。
「二日市」の地名が最も古か記録に出てくるとは文明11年(1479)バッテン、それ以前から「市」は行われとったていうケン、500年以上の歴史があるていうこと。
西鉄二日市駅とは歩いて12分・バス5〜6分程度の距離。太宰府天満宮・九州国立博物館へ行くには、当駅からバスかタクシーで直行するか、西鉄二日市駅まで行って西鉄太宰府線に乗り継ぐしかなか。
薩摩藩島津家の領主が湯治に使っていたていう「殿様湯」は現在も残っとる。
市内どこでも1m掘ればお湯が湧き出るほど湯量は豊富。
実際、海岸などば掘ると熱か蒸気が噴出するところがあるとゲナ。
これば利用したのが「砂蒸し風呂」
海岸に寝そべった上から砂をかけてもらうと蒸気で徐々に体が温まり、その効果はサウナ以上で人気がある。
上・黒田の殿様が愛用した「御前湯」はいまも健在。
中・むかしは湯町ていうた温泉街の町並み。
下・有名人が泊まった「大丸別荘」も健在。
ホームは島式2面4線。ホームの間は跨線橋で連絡しとる。駅本屋は太宰府天満宮ばモチーフにしとる。駅の中に「梅ヶ枝餅」の店舗があり、焼きたての香りが待合室に漂う。バリアフリー工事が2009年に完了し、エレベーター・エスカレーターも完備する駅になった。
1番ホームが鹿児島本線の下りで、特急中心。特急「有明」、特急「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」。特急「ゆふ」「ゆふいんの森」など
2番ホームが下りの鳥栖・久留米・大牟田方面と上り 博多・小倉・門司港方面
3番ホームが上りの博多・香椎・小倉・門司港方面と長崎・佐世保・由布院方面からの博多行き特急含む
4番ホームが鹿児島本線の予備。 2012年度の1日平均乗車人員は7,036人やった。
古くは「次田(すいた)の湯」「薬師温泉」、近世は「武蔵温泉」とも呼ばれとった。
江戸時代には、筑前黒田藩主専用の「御前湯」が置かれとって、温泉奉行までおって管理しとったていう。
「二日市温泉」て命名されたとは、昭和25年(1950)やケン、それからでも60年以上になる。
明治29年(1896)には夏目漱石が新婚旅行に訪れとる。
戦後は歓楽街としても栄え、芸者さんの組合などもあった。
鉄ちゃんがよだれば流す鉄柱
高速バスの九州自動車道 筑紫野二日市温泉入口バス停からやったら、歩いて約8分。
この温泉のある二日市村が明治28年(1895)に町制ば施行し、御笠郡二日市町に、翌年、那珂郡・席田郡・御笠郡の三郡が統合し、筑紫郡になった。
さらに昭和30年(1955)新設合併して筑紫郡筑紫野町が発足、昭和47年(1972)市制ば施行して筑紫野市が生まれた。その中心が二日市町タイ。
左・いま列車が停まっとるとが一番ホーム。右へ2番・3番と並ぶ。
上・広いコンコース。正面にみどりの窓口。左手にこれもひろい待合室があって、その奥がトイレという構造。
下右・待合室には毎年末、天満宮にちなんで九産大付属九州産業高校の生徒が作った巨大絵馬が飾られとる。
左上・跨線橋の入り口にある明治の鉄柱。
左下・黄色の矢印が、鉄ちゃんに値打ちの鉄柱。
上・地元の学生さんたちは、知らんケン、無視。