2 越前府中(武生市)
古代の越前国府所在地から発展した府中は、中世、守護所が置かれ政治の中心地でした。
街の中を街道が通り、宿場町の機能を持っていたうえ、多数の寺院が存在し門前町としても栄えていました。 越前国内に戦乱が起こると、この府中は必ず争奪の対象になりました。
南北朝期、新田義貞が北朝方の斯波高経を新善光寺城(現在の正覚寺の寺域か)に攻めて勝利した後、府中は、しばらく南朝方の脇屋義助らの拠点になりました。 室町期には小守護代二人がここに配置されたこともあって、応仁・文明年間(1467〜1487)の守護代甲斐氏と朝倉氏との戦いでも攻撃目標とされ、
文明4年(1472)8月に朝倉氏が府中を制圧して、ようやく合戦の帰趨が決しました。 しかし、朝倉氏は本拠を一乗谷に置き、この府中には小守護代の職務を継承した府中奉行人(府中両人)を配置するにとどめました。
3 味真野(武生市味真野町) 日野山の北東麓、文室川の上流域の扇状地に位置した、奈良時代から見える古い地名で越前国今立郡九郷の1つです。
古代から中央との関係が深く、継体天皇に関する伝説も多く謡曲「花筺」の舞台になっていますし、
北東部にある池泉町には皇子時代の御所があったところと伝えられています。
また、「万葉集」で有名な狭野弟上娘子との仲を裂かれた中臣朝臣宅守の流罪地でもあります。
|