このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
◎北陸街道(上り) | 福井市から鯖江、越前市を経由して南越前町の栃の木峠まで歴史を辿りながら案内します。 |
◎美濃街道 | 福井市から大野市を経由して越美国境の油坂峠までの美濃海道の歴史を辿ります。 |
◎北陸街道(下り) | 福井市内九頭竜橋から坂井市を経由し、石川県境付近までを史跡を見ながら案内します。 |
◎ 穴 馬 道 | 美濃街道のうち、大野から油坂峠までの区間を通称穴馬道と呼んでいました。内容は美濃街道(2)と同じです。 |
◎ 勝山街道 | 福井市から勝山市までを通称勝山街道と呼んでいました。街道は九頭竜川に沿っていますが、昔、この川をどのように渡ったのでしょうか。 |
◎永平寺道 | 永平寺道は福井から大本山永平寺に参詣のため利用した道です。多くの善男善女が東藤島の追分(福井市)で勝山街道から分かれ、越坂(恋坂)・京善(永平寺町)を経て、永平寺に至った全長2里24町(約11km)の道です。 |
◎牛 首 道 | 福井県勝山市と石川県白峰村(旧牛首村)を結んだ道です。白峰側では、この道を大道谷往来と呼んでいました。 |
◎湊町敦賀の歴史 | 敦賀湊は、律令国家の下で京畿と越国(北陸)の結節点として、古代から重要な湊町として発展しました。古代北陸道が通っていましたが、戦国期、栃の木峠が開通して幹線道からはずれましたが、西近江路として京都へ向かう旅人に利用されました。 |
◎丹波道(鯖街道) | 若狭小浜から南川に沿っておおい町名田庄地区を経て若丹国境を越え丹波・京都へ向かった道です。今は国道162号が堀越トンネルを抜けて京都へ向かっています。 |
◎朝倉街道 | 中世から戦国期に越前を支配した朝倉氏が一乗谷を拠点に、各地へ通じる道として活用されたのが通称朝倉街道と呼ばれた道です。 |
◎鎌倉街道 | 鎌倉時代、越前市に府中があった頃、越前から鎌倉への近道として利用された道が鎌倉街道と呼ばれました。「いざ鎌倉!」のとき、府中から鎌倉へどのような道筋で向かったのでしょうか。 |
◎西 街 道 | 古来、越前市にあった府中から河野浦まで通じていた道が西街道です。この街道は主に海路を利用した物資の輸送に利用されました。 |
◎敦賀街道 | 明治20年(1887)、武生・大良・杉津・赤碕・敦賀間に「敦賀街道」が開通しました。この影響で今庄・敦賀間の木の芽峠越えの西近江路が衰退しました。 |
◎北国街道 | 江戸時代、今庄宿から江越国境の栃ノ木峠を越えて中河内宿に出ると湖北・湖東を南北に縦断し、鳥居本宿から中山道に合流した街道です。ここでは今庄宿から木の本宿までを案内します。 |
◎西近江路 | 越前市から今庄を経由して、木の芽峠を越え、敦賀へ向かった道です。古代の北陸道であり、越前と奈良・京都を結んでいた重要な道でした。 |
◎ 柳ヶ瀬道 | 敦賀市麻生口で塩津道と分かれて刀根川沿いに上り、杉箸で池河内へ行く道と分かれ、刀根の集落に入り柳ヶ瀬(滋賀県)へ向かった道です。江戸時代、敦賀経由で江戸へ向かうのに、この道が多く利用されました。 |
◎ 塩 津 道 | 敦賀市疋田から刀根川沿いに麻生口を経由し、奥麻生川沿いに新道、新道野を越えて沓掛、余村を通って塩津(滋賀県)に至った道です。 |
◎ 丹後街道 | 丹後街道は越前国敦賀から若狭国を横断し、丹後国田辺・宮津(舞鶴市)へ通じた街道です。 |
◎ 九里半街道 | 小浜と近江今津を結んだ街道です。これは熊川街道とか若狭街道とも呼ばれましたが、小浜・今津間の距離をとって九里半街道とも呼ばれました。 |
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